海外ラオスにある小ロットを得意とする縫製工場

CREATIVE BUSINESS CORP., (LAO) LTD.





ラオスの縫製工場一覧です。①
2017.05.04
 海外縫製工場の中でベトナムやカンボジアなどの縫製工場一覧はインターネット上で見つかったのですが、ラオスの縫製工場一覧は見つかりませんでした。ということで、ラオスの縫製工場リスト作ってみました。

 ベトナムやカンボジア、ミャンマーなどに負けずに、どんどんラオスの縫製業が盛り上がっていってほしいです。 ベトナムの縫製工場には、ベトナムの良さが、ミャンマーの縫製工場にはミャンマーの良さが、そして、ラオスの縫製工場にはラオスの縫製工場の良さがあるはずです☆ (ラオスの縫製業が縮小し、洗い屋さん、刺繍屋さんなどが撤退したらCBC Laoとしても一大事です。いろいろな工場が協力しあって、縫製業全体を盛り上げていければ良いですね☆)

 資料は、2015年のラオス縫製業協会の冊子からになります。ラオス縫製業協会に入っていない縫製工場は、下のリストには入っていません。また、2年経っているので、新しく進出してきた縫製工場、あるいは撤退した縫製工場あるかと思いますので、あくまでも参考程度のものです。
 
 ラオスの縫製工場は、欧米向けの工場がたくさんあり、工員の数は500人くらいから1000人くらいの工場が多いように感じます。また、Tシャツやポロシャツのニットの縫製工場から、スーツの縫製工場、ワークウエアに寝具にといろいろな縫製工場があるようです。

次からが縫製工場リストになります。ラオス縫製協会の資料には、全部の44の縫製工場が紹介されていますが、一度に全部リストにするのは長いので、2回に分けて紹介します。

(参考)ラオスの縫製工場一覧です。②
 http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00086.html

※AからDは次の項目になります。
A.電話番号
 ⇒856がラオスの国番号です。
B.従業員数
C. 月間生産数
D. 主に縫製しているもの

1. Alpilao International Co,. Ltd.
A. (856 21) 561 634
B. 1360人
C. 250,000枚
D. ポロシャツ、ジャケット、Tシャツ、セーター

2. Anta apprel Sole Co,. Ltd.
A. (856 21) 770 921
B. 109人
C. 28,000枚
D. ジャーズ、Tシャツ、ポロシャツ

3.Aishin Lao Co,. Ltd.
A. (856 21) 460 077
B. 350人
C. 62,000枚
D. 女性用パンツ

4. Be Cooperate Export Co,. Ltd.
A. (856 21) 752 045
B. 487人
C. 150,000枚
D. ジャージ、ポロシャツ、Tシャツ

5. Creative Business Corp(Lao) Co,. Ltd.
A. (856 21) 771196
B. 94人
C. 5,500枚
D. 子ども服、カジュアル、寝具

6. Done Garment Factory
A. (856 21) 711 264
B. 125人
C. 45,000枚
D. ジャケット、ジャージ

7. Diep Vu Co., Ltd.
A. (856 21) 941 082
B. 661人
C. 255,150枚
D. 制服、ユニフォーム

8. Intimate Fashion RB(Laos) Co,. Ltd.
A. (856 21) 771 636
B. 233人
C. 80,000枚
D. 下着(男女)

9. Icon Clothing Lao Co,. Ltd.
A. (856 21) 460 077
B. 75人
C. 10,000枚
D. パンツ、ジャケット

10. International Garments Co,. Ltd.
A. (856 21) 313 540
B. 135人
C. 140,000枚
D. ジャージ、ジャケット

11. Diep Vu Co., Ltd. Ⅱ
A. (856 21) 832 034
B. 162人
C. 40,000枚
D. パンツ、ショートパンツ

12. Great Lao Garment MFG
A. (856 21) 313 998
B. 453人
C. 23,598枚
D. シャツ

13.Hi-tech Lao Apparel Co., Ltd.
A. (856 21) 313 026
B. 615人
C. 100,000枚
D. 男性用男児用下着、女性女児のニット製品

14. Hachi-Lao Co., Ltd.
A. (856 21) 732 361
B. 183人
C. 8,500枚
D. 寝具

15. Kianvilay Garment International Import-Export
A. (856 21) 215 513
B. 570人
C. 130,000枚
D. ジャケット、Tシャツ、ポロシャツ

16. Kainvilay Santisouk Garment
A. (856 21) 254 088
B. 160人
C. 60,000枚
D. 警察の制服

17. KB Yagi Lao Co,. Ltd.
A. (856 21) 633 015
B. 355人
C. 7.000 - 9,000枚
D. 男性用スーツ

18. Lane Xang Toys Clothing Co., Ltd.
A. (856 20) 9713 1979
B. 80人
C. 150,000枚
D. おもちゃ用の服

19. Lao Univers Garment Co,. Ltd.
A. (856 21) 313 297
B. 460人
C. 170,000枚
D. スポーツウエアー

20. Lao Cotton State Enterprises
A. (856 21) 215 840
B. 75人
C. 2,500枚
D. シャツ、カーテン

21. Lao Yamaki Sole Co., Ltd.
A. (856 21) 650 496
B. 344人
C. 60,000枚
D. 男性用シャツ

22. Lao Apparel Co,. Ltd.
A. (856 21) 755 000
B. 397人
C. 160,000枚
D. シャツ

23.Mega Lao Co,. Ltd.
A. (856 21) 461 003
B. 163人
C. 80,000枚
D. ポロシャツ、Tシャツ

24. Mondo Yagi Lao Co., Ltd..
A. (856 21) 633 015
B. 104人
C. 6,000枚
D. 男性用スーツ、女性用スーツ

25. Pro Coporate Co,. Ltd.
A. (856 21) 414 711
B. 110人
C. 16,000枚
D. ポロシャツ、Tシャツ
ラオス正月にはロケット祭りもあります!!
2017.04.24
 前回は縫製工場のラオス正月前のパーティについて紹介しましたが、今回のブログは、ビエンチャン県における正月の過ごし方をお伝えます。ビエンチャン県は、首都のビエンチャン特別市のすぐ北にある県で、職員の中にもこの県出身の職員がいます。

※CBC Laoの正月のパーティの様子は次のブログに書いています。
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00081.html

 このラオス正月の時期には、それぞれの地方で、地方独特の行事があるところもあります。有名なところでは、ルアンパバーンのミス・ルアンパバーンによる行列があります。その他にも、ここ最近は、首都ビエンチャン特別市のサンドアートなども有名になってきています。そして、首都ビエンチャン特別市の北に位置するビエンチャン県では、毎年、ロケット祭りが開催されています。そして、このロケット祭りは、ビエンチャン出身職員のイチオシのお祭りです!!
 
 ※もっともこのロケット祭りはラオス正月のときにだけ行われるのではなく、ビエンチャン県内の多くの村で、4月から5月にかけて多くの村で雨季に入る前に雨乞いのために行われます。いろいろな村で行われるのですが、口コミで広がっていくので、どこでこのロケット祭りがあるのかなかなか情報が入りにくかったりします。

 このロケット祭りは、ロケットを打ち上げるだけのお祭りではなく、ステージがあってそこでバンドの演奏があって、みんなで踊って、そして飲み食いをしてという一度にいろいろなことを楽しめる大きなお祭りです。

 ロケット祭り会場の全景はこんな感じです。3つのロケット発射用の櫓があります。小さいものから大きいものまで、サイズごとに櫓がありあります。
 
 
 そして、このロケットはステージのある会場を練り歩きながら、運ばれてきたりします。


 少しずつ櫓の方へ向かっていきます。


 ロケットを設置します。


 発射です。けっこうな轟音とともに発射されます。




 思ったより高いところまで飛んでいました。


 ステージはこんな感じです。この日は、男性と女性の歌手が1人ずつ来ていました。それに、ときどき普通の歌唱力に自信のある村人がステージにあがってうたったりします。そして、この村人の歌がけっこううまかったりします。


 その周りでこんな感じでみんながダンスをしています。


 ロケットの作る各グループごとに同じTシャツで揃えたりしています。


 また、このロケット祭りは、雨乞いの他に子孫繁栄のためのお祭りでもあるので、下のようなものを持った女性が会場中を歩いていたります。
 
 
 そして、このお祭りに来た人の子孫繁栄をために絡んでいます(?)。

 
 もちろん屋台などのお店もあります。下の店ではインドのクレープみたいなお菓子を焼いて売っています。

 
 ベトナム人の女性はスルメを売っていました。メコン川沿いやお祭りでは、よくベトナム人の女性がスルメを売っています。スルメと一緒に売っている卵は、孵化しかけ卵のゆで卵です。


 風船もあります。どこの国の子どもも風船が大好きですね。


 こんな感じでも、このロケット祭りに来た人々は、ロケットの打ち上げを少し見て、その後、ロケットの打ち上げ音を聞きながら、ステージを見て、踊って、飲んで食べてとこのお祭りを楽しみます。

 最後になりましたが、ラオス人の大半は仏教徒です。お酒を飲んで、水をかけあって過ごすという過ごし方も一つですが、他方で大晦日の前日にお寺に行ってお坊さんにお水をかけて(今年でいうと4月14日)、大晦日の日にバーシーという土着の儀式をして(今年でいうと4月15日)、元旦に再びお寺にお参りにいく(今年でいうと4月16日)という過ごし方もしている人々もたくさんいます。日本で言うと除夜の鐘をつきにお寺に行って、初詣に神社に行く感じでしょうか。。。 ラオスで正月を過ごすといっても、楽しみ方はいろいろです☆
ラオス正月で4月13日から17日まで休みです。
2017.04.10
 ラオス正月はいよいよ今週となりました。街なかでも、ラオス正月を祝うためのラオス語で「あけましておめでとう」と入ったTシャツや花柄のシャツ等がたくさん売られています。縫製工場でも、若い(二十代?)の職員の中に、髪の毛を明るく染める職員が何人も出てきます。ラオスでは、ラオス正月のときには、多くの若者が頭を明るい色に染めます。(そして、ラオス新年が終わると、髪を黒にもう一度染め直します。)

 CBC Laoも、ラオス正月休みで、13日から17日まで休業させていただきます。毎年、ラオス正月は4月14日から16日までですが、今年は週末が重なるため振替休日ということで13日(木)と17日(月)も休みになりました。(このラオス正月の休みについては、以前のブログでは13日から16日まで書きましたが、その後、ラオス政府とラオスの縫製協会から、ラオス国内のすべての縫製工場が4月13日から17日まで正月休みにするように通達がきました。)

(参考)2017年のラオスの祝日・祭日を紹介!!
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00025.html

 ちなみに、タイの正月であるソンクラーンとラオス正月はほぼ同時期ですが、タイ正月は4月13日から15日なので、ラオス正月の方がタイ新年より1日遅くなっています。

 今日は、ラオス正月について、少し紹介します。

 ラオス正月は、ラオス語では、ピーマイ・ラオと言います。ピーは「年」、マイは「新しい」、ラオは「ラオス」の意味です。ラオス人は、自分たちを指す時に「ラオス」ではなく「ラオ」というように言います。このピーマイ・ラオに、「こんにちは」という意味の「サバイディー」をつけて「あけましておめでとう」という意味で、「サバイディー・ピーマイ」をお互いに言い合います。これに、「幸運を!!」という意味の「ソークデイ」を含んだ「ソークディ・ピーマイ!!」を付け加えることもあります。

※英語で書くとラオスは「LAOS」で最後の「S」は、複数形の「S}です。フランスの植民地になったときに、現在のラオス国内に、「ラオ」族の国が幾つかあったの「LAO」に複数形の「S」をつけて「LAOS」にしたようです。なので、ラオス人にとっては、ラオスという呼び方はあまり好きではありません。また、ラオス国の正式名称は、英語ではLAO P.D.Rで、「LAOS」ではありません。

 さて、どんな風にラオス正月を過ごすのかというと、伝統的には家族や親しい友人たちとお祝いをご飯を食べる。歌う。そして、水を掛け合って、悪いものを落としていくというような感じです。家族が他県に働きにいったりしていることも多いので、家族親戚が揃うのをとても楽しみにしています。どこの国も、家族や親しい友人と過ごすのは一緒ですね。また、場合にはよっては、バーシーと呼ばれる儀式をして、悪いものを流して、良いものを呼びこもうとすることもあります。(ただ、料理に関しては、ラオスには、日本のおせち料理にあたるような特別な正月料理というものがないので、いつもと食事よりも少し良い食事という感じです。)

 縫製工場の職員の中にも、地方出身の職員もいて、この時期にそれぞれの地方に戻って家族や親戚と過ごすのを楽しみにしています。北部の県出身者の中には出身県までバスで24時間以上かかる場合もあるので、なかなか地元へ戻ることができません。このラオス正月期間は、数少ない地元へもどることのできる機会です。

 このような伝統的なラオス正月の過ごし方に対して、首都ビエンチャンでは、かなり派手になってきています。個人的にも、一部の若者は羽目を外しすぎているように感じます。色のついた水をいれた水風船を車やバイクになげつけたり(これは完全に違法です)、わざわざ通行している車やバイクを半ば強引にとめて水をかけたりと(今年はこれも禁止になるようです)、なんでもありという雰囲気になっています。お酒もかなり入ります。明らかにフラフラ運転している車やバイクも見かけるようになります。病院が1年で一番忙しいのも、このラオス正月の時期だということです(ラジオで病院の職員がインタビューを受けていて、ラオス正月の時期の患者数の増加に備えて、ベッド・輸血用の血液を用意し、さらに病院職員も増員して対応すると話していました)。

 そんなわけで、政府系のラジオや新聞でも、この頃はよく「飲酒運転はやめましょう」「豪勢に騒ぐのはなく、伝統的な質素な正月の過ごし方をしましょう」的な内容が多いです。今年は、花火が禁止になり、水掛けも午前9時から午後6時までに制限されるようです。

 縫製工場でも4月12日、ラオス新年のお祝いをすることになっています。伝統的に落ちついた雰囲気になればいいと思うのですが、毎年、とにかく飲んで飲んで、踊って、水を掛け合って、また飲んでというパーティになっています。あっという間にビールがなくなって、また買い足しては、またビールがなくなって工場内でパーティは終了して、さらに多くの職員が近くの飲み屋さんに飲みにいくという感じです。ラオス人のビールの飲料は半端ではないです!!また、この様子は、新年明けのブログで紹介します!!

 では、皆さん、サバイディー・ピーマイ!!
3月21日はラオスでは「タケークの戦いの日」でした。
2017.03.23
 3月21日はラオスでは「タケークの戦いの日」でした。この日は、ラオスの祝日になっていませんが、ラオス人にとってはとても大事な日です。といいつつ、私も今まで知らなかったのですが、朝、ラオスのラジオを聞いてるいると、「タケークの戦い」のことを特集していました。

※ラオスの年間の祝日については、次のリンクを見てください。
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00025.html

 ラオスで働く者として、ラオスの文化や歴史を日本に伝えるのも、仕事の一つと考えているので、今日はこのタケークの戦いを紹介します。ラオスは、フランスに植民地にさせられ、日本が第二次世界大戦で攻めてきて一応フランスから独立し、日本の敗戦後中国が来て、またフランスが攻めて来る(タケークの戦いのとき)という大国に振り回されてきた歴史を持っています。観光パンフレットやガイドブックでは、「笑顔が素敵な国」「のんびりした国」などと紹介されるラオスですが、辛い歴史を乗り越えて今があります。

 さて、タケークの戦いというのは、1946年3月21日にフランス軍がラオスにラオスの再植民地のために、ラオスの中部にあるカムアン県タケーク(首都ヴィエンチャンから南に300キロくらい)に侵攻してきたことから、ラオス人(ラオ・イサラ)とベトナムからの義勇軍が、フランスと戦った日という日です。


 
 1946年2月28日のフランス中国協定に基づいて、中国国民党はラオスから撤退することになりました。(まだ、中国本土では、共産党と国民党が内戦をしています。)その後、中国がラオスが撤退した後に、フランスが、3月17日にでサワンナケート県(タケークの戦いが起こることになるカムアン県の下の県)を占拠し、北上をしてカムアン県に向かってきます。

 このフランス軍とタケークで戦うことになり、ラオ・イサラ(自由ラオス)とベトナム人の義勇兵で、ラオス人民民主共和国の初代大統領となるスパヌウォンがラオス側の率いて戦いました。このとき、スパヌウォンは、メコン川を渡る時に銃弾を受け重傷を負いました。(この負傷したスパヌウォンを助けるために、ベトナムからの義勇兵が亡くなっています。)



 このタケークの戦いは、結果としてみればラオス側は敗北し、1日で3000人のラオス人がなくなりました。その多くは女性や子どもだったそうです。また、フランス人に殺された人々は、殺されて井戸に捨てられたり、メコン川に流されたそうです。子どもの中には、生きたまま井戸に落とされた人もいるということです。この3000人という人数は、ラオスの歴史上、1日あたりの戦死者数でみると、もっとも多い戦死者数という日になります。



 3月21日のタケークの日は、フランス人の残虐性とその死者数の多さにより、ラオス人にとっては忘れることのできないとても悲しい日となっていて、この日に亡くなったラオス人とベトナム人を追悼する日となっています。

 最近、テレビ等でも取り上げられることの増えてきたラオスですが、「癒やし国」「笑顔の国」というだけでなく、辛く苦難の歴史を持っていることを知れば、また違ったラオスが見えてくるのではないしょうか。

※この記事のイラストはTHOLAKHONGの関連記事からお借りました。
参考URL:http://www.tholakhong.com/2017/03/21.html
 
 
3月8日は女性の日で縫製工場はお休みでした。
2017.03.09
 3月8日は女性の日で、工場はお休みでした。3月8日の女性の日というのは日本では、馴染みが薄いですが、ラオスを含め、世界のいくつかの地域では大切な休日のようです。

※ラオスの年間の祝日については、次のリンクを見てください。
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00025.html
 
 この女性の日は、1904年にアメリカで女性が参政権を求めてデモを起こしたことがきっかけになったようで、その後、次のような経緯があるそうです。一番下のリンク先のニュースがよくまとめているので該当部分を日本語に訳します。

「最初の公式としての女性の日は、1909年に、ニューヨークで一日開催のいくつかの大きなイベントを開催したアメリカの社会主義者の人々によって宣言されました。主催者は、2月28日の日曜日を選んだため、働く女性も参加することができました。そして、うまくいきました。そのイベントは、優先順位や戦略をめぐって過去に何度か衝突していた婦人参政権論者や社会主義者を含む、何千人もの人々を惹きつけました。「女性の義務が、家庭や母性に集中するというのは真実です。」ブルックリンの群衆の中で作家で改革者であるシャーロット・パーキン・ギルマンは言いました。そして、次のように続けたのです。「しかし、家庭は、すべての国を意味します。市や州の3つや4つの部屋には制限されません。

 2,3年の間に、労働や女性の権利に関係する大義のための「女性の日」のコンセプトは、ヨーロッパへと伝わっていきました。統計の中には、100万人以上の人々が、1911年3月19日の集会に出席したとするものがあります。1917年には、ロシアのフェミニストのアレキサンドラ・コロンタイが、皇帝ニコライ2世の退位とロシア革命を引き起こす大きなデモを導きました。敬意を表して、レーニンは1922年に、女性の日を公式の祝日にしました。中国とスペインの共産主義者も、公式に、女性の日を祝うことを始めました。1960年代半ばまで、国際女性の日は、共産主義者の祝日として残っていました。1975年には、国連が、公式に、国際女性の日を3月8日として認めました。」

 なんと、女性の日のデモは、ロシアの2月革命と関わっているんですね。そして、今年は、2017年のちょうど100年ですね!! (しかし、社会主義の国でも、3月8日の政治的な意味合いはなくなり、女性に感謝する日となっているようです。)
 
 さて、話はラオスの休日に戻ります。上にリンクを張ったラオスの年間の祝日にも書きましたが、ラオスには建国記念日のように民間企業・役所を問わず祝日になる祝日と、一部の企業等が休みになる祝日があります。この女性の日は、後者の一部の企業等が休みになる祝日です。なので、企業によっては、役所によっては、仕事をしているところもあります。

 ここには2つの考え方があるようです。一つは、女性の日だから女性だけを仕事を休みにして男性には働いてもらおうと考え方です。もう一つは、女性だけが休みになっても、家では家事をしなければなりません。だから、男性もこの日は仕事を休んで、男性に家事もすべてやって、女性が休めるように、女性だけでなく、男性も休みにしようという考え方です。

 どちらの考えにとってもラオスでは3月8日は、男性が女性が、特に尽くさなければならない日のようです。また、前日の3月7日には、職場によっては、男性陣が、日頃の女性への感謝の気持ちを示すためにパーティを催すところもあるようです。ちなみにイタリアでは、3月8日は「ミモザの日」と呼ばれ、男性が、母親や妻、会社の同僚などのミモザを送るそうです。日本男児は、普段から奥さんや母親に日頃の感謝をなかなか口に出して伝えられていない人も多いと思うので、是非、この女性の日が日本に広がるといいですね☆☆


※参考URL:
http://www.slate.com/articles/double_x/doublex/2017/03/this_week_s_strike_is_taking_international_women_s_day_back_to_its_radical.html
"The week's strike is taking International Woman's Day Back to Its Radical American Roots. の一部
The first official National Woman’s Day was declared in 1909 by the Socialist Party of America, which held several large events on a single day in New York City. Organizers chose a Sunday, Feb. 28, so working women could participate. It worked: The events attracted thousands of people, including both suffragists and socialists, who had sometimes clashed in the past over priorities and strategies. “It is true that a woman’s duty is centered in her home and motherhood,” writer and reformer Charlotte Perkins Gilman told a crowd in Brooklyn, “but home should mean the whole country, and not be confined to three or four rooms of a city or a state.”

Within a few years, the concept of a “women’s day” for causes related to labor and women’s rights had taken off in Europe. By some estimates, more than 1 million people attended rallies worldwide on March 19, 1911. In 1917, Russian feminist Alexandra Kollontai led a massive protest that helped set off the abdication of Czar Nicholas II and the Russian Revolution. In deference, Lenin declared Woman’s Day an official holiday in 1922. Chinese and Spanish Communists began formally celebrating it, too, and International Women’s Day remained a communist holiday until the mid-1960s. In 1975, the United Nations officially recognized March 8 as International Women’s Day.

⇒上の部分が私が日本語に訳した部分ですが、その他にも興味深い話があるので、是非、お時間のある方は全文を読んでみてください。

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