海外ラオスにある小ロットを得意とする縫製工場

CREATIVE BUSINESS CORP., (LAO) LTD.





12月2日は「国家の日」でお休みでした。
2017.12.04
 12月2日の土曜日は「国家の日」でお休みでした。(ラオスの縫製工場は、通常、CBC Laoに限らず土曜日も仕事があります。)

 この「国家の日」というの英語でいう「natiaol day」のこと言い、国によっては「独立を宣言した日」であったり、「革命の日」であったり、「国王の誕生日」であったりします。日本の「国家の日」にあたるのは、紀元前660年に神武天皇が即位した日とされる「建国記念日」あるいは「天皇誕生日」がそれにあたるようです。

 では、12月2日のラオスの「国家の日」は何を記念する日なのかというと、ラオスの共産党が王政を倒して、「ラオス人民民主共和国」の設立を宣言した日となっています。ラオス人民民主共和国は、1975年12月2日に王政を倒し成立したので、今年で42年目となります。 

 この日をお祝いするために、先週くらいからは、いろいろなところで、ラオス国旗が飾られていました。

 また、前日の12月1日は、大統領や首相などが、ラオスの建国の父と呼ばれるカイソン元大統領の記念館の前に花を供えるなどの儀式があったようです。現在の大統領などにとっては、多くの仲間の命が失われる中で、命がけで王政と戦って成立したラオス人民民主共和国なので、とても大切にしているように感じます。(明治維新の立役者が、明治政府の重職についている感じでしょうか。)

 

 ちにみに、ラオスの国旗は次のようなものです。



 この旗の意味するところは、、、

 赤:独立闘争で長された血

 青:国の豊かさ

 白:メコン川にのぼる月

 外国人として、外国に住まわせてもらい、働かせてもらっている立場として、ラオスの文化や歴史に敬意を払わなければいけません。あまりラオスの歴史には詳しくありませんが、少しずつでもラオスの歴史を勉強していこうと思います!!
モン族のお正月(キンチアン)が始まっています!!
2017.11.27
 ラオスで、もっとも大きな割合を占めるのがラオ族ですが、ラオ族以外にも多くの民族の人々が住んでいて、それぞれの文化を持っています。それらの民族の1つであるモン族のキンチアンと呼ばれる正月が先々週くらいから始まっています。といっても、ラオス国内にいるモン族の人々が、同時に正月を迎えたというわけでなく、それぞれの地方でお正月の時期は違います。モン族の正月は、稲刈りが終わった月の次の月に行われるかららしいのです。(モン族の正月がどのように決まるか分かる人がいれば是非教えてください!!)

 ちなみにモン族の人々の民族衣装は次のような感じです。刺繍がとても綺麗です。銀色の丸い部分は、「貨幣」だそうです。ただ、昔は、本当の貨幣を使っていたそうですが、今は、ただ貨幣っぽいものということです。





 縫製工場でも、先々週に、モン族の職員がお正月なので「お休みをください」を有給休暇を申請していました。戻ってきてから聞いた所、近くの親戚の皆で、お正月の儀式とお祝いをしたとのことでした。

 モン族の人々がどのようにお正月を祝うのかというと、まずお正月の前にはその準備として、お餅をつくそうです。そして、大晦日の日には、鶏を殺して、お供えをして、また、鶏肉を使ったごちそうを作ってお祝いするそうです。餅をつくことなど、日本とお正月と少し似ていますね。

 また、お正月期間は、1週間から1ヶ月くらいあり、その期間中に闘牛があったり、ボール投げがあったり、歌や踊りがあるそうです。こういうときには夫婦やカップルなどは、おそろいの民族衣装をお祭りに参加します。モン族の女性は、皆、民族衣装を手作りで作れるそうです。



 これらのお正月行事の中でも有名なのが、ボール投げです。男女が一列に並び、女性が作ったボールをお互いに投げあいます。たったこれだけのことですが、これはモン族の独身の男女にとっては、お見合いのようなものらしいです。ここで、良い相手を見つけることを楽しみにしている人も多いらしく、アメリカなど海外からもお嫁さん探しなどのために、ラオスに来る人もいるらしいです。



 さて、昨日、ビエンチャンのドンパニャー村(母子保健病院の近く)で、モン族のお祭りをやっているのを見にいったので、それを紹介します。モン族の縫製工場の職員も、皆、行くと言っていましたが、行った時間が遅かったため誰にも会うことはできませんでした。

 まず、入り口付近では、コマをやっていました。1人がコマを回して、それを他のグループの人々がコマを投げて、そのコマを倒すというルールのようです。分かりにくいですが、下がその写真です。

 

 メイン会場ではは、闘牛があったようです。行った時間が遅く、すでに終わっていて、残っていた牛の写真しか撮れませんでした。

 

 闘牛については、一度も見たことがないので、来年こそは、見てみたいです!! モン族の闘牛がどんなものかは、「各国紹介ラオス」とうwebsiteに詳しい説明があったので、紹介します(以下、引用)。

《血たぎる闘牛》
「ターディンデーン地域では60頭ほどが集まり、4時間近く約30試合が行なわれた。半野生の去勢していないオスで、闘牛専用の牛を使う。闘牛にメスは使わない。普通の牛より角(つの)が長めだが、水牛より短い。水牛の角は二本が内側に大きく弧を描くが、この牛はほぼまっすぐに斜め前方に向かって伸びる。また首の皮が大きくたるんでおり、首の上には必ずコブが1つある。

組み合わせは審判員が決める。対戦する牛の年齢が同じになるようにし、また同じ村の牛とは対戦しないように組んでいる。2頭ずつの一騎打ちで、一本勝負。総当り戦やトーナメント戦ではないため、勝ち進んだり、一日に二度試合をしたりことはなく、優勝とか2位、3位とかいう順位はない。また賞金とか記念品といったものもなく、飼い主が手に入れるのは「名誉」だけである。試合の勝敗をみながら賭博をする人はいなかった。

人垣で作られた闘牛場の両サイドから飼い主が鼻輪を引いて登場する。濡れた布巾で牛の角を清める。ジョッキ1杯のビールが振舞われ、飼い主が飲む。金属でできた鼻輪の代わりに鼻にひもを通して牛を引き、徐々に牛の顔を先方の牛の顔に近づける。するとある瞬間に突然に頭突き合いになる。飼い主は鼻のひもを抜く。どちらか一方が逃げ出すか、ひどく傷つくか、あるいは死んだら負け。」
(参考URL:http://www.e384.com/imadoki/33laos/laos_12.html)

 もちろん他の場所では、有名なボール投げもやっていました。この中でカップルは誕生したのでしょうか。。。



 明日の夜には、モン族の伝統芸能の発表があるらしく、そのリハーサルをしていました。



 また、いろいろな方に写真を撮らせていただいたので、それを紹介します。皆さん、とてもきれいな民族衣装をきています!! カップルの場合には、女性が、男性用の服も一緒に作るそうです。











 これから、ラオスに来る方で、モン族の正月に興味の有る方におすすめなのが、ビエンチャン近郊でもっとも大きなモン族の人々が住むうラク・ハーシップ・ソーン(LAK52)のモン族のお正月です。12月18日からお正月が始まるそうで、その後の週末などには、ボール投げなどモン族のお正月の様子を見ることができると思います。ラク・ハーシップ・ソーン(LAK52)は、ビエンチャンから北へ向かう国道13号線に向かって52キロメートルにあります。
タートルアン祭りで縫製工場はお休みでした。
2017.11.06
 11月3日はタートルアン祭りで縫製工場はお休みでした。今年は、偶然にも日本の文化の日と重なり、日本とラオス共に休日と珍しいパターンでした。

(参考)2017年のラオスの祝日・祭日を紹介:http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00025.html
タート・ルアン祭りで工場はお休みでした。(2016年の記事):http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00018.html

 このお祭りはタートルアンと呼ばれる仏塔を中心に行われます。この仏塔は、元々は16世紀中頃にランサン王国のセタティラート王によって建てられたもので、現在は、国を代表するシンボルとなっています。また、仏陀の遺物が塔の中に残っているとも言われています。

 そして、タートルアン祭りは、旧暦12月の満月の日に行われます。ラオスの首都ビエンチャンの人々にとっては、先月行われたボートレースと並んでもっとも大きな祭りの1つです。このお祭りのクライマックスは11月3日の最終日に行われた托鉢ですが、お祭り自体は10月27日の夜から始まっていて、いろいろな出店がでていたり、ビアラオの企業がステージを作っていたりとこの約1週間タートルアン周辺は大変盛り上がっていました。縫製工場の職員同士でも、「タートルアン祭りに行った?」みたいな会話が繰り広げられるのがこの時期です。また、お坊さんもこのお祭りのときに、全国から集って来るそうです。

 まず、27日の夜にはたくさんの人々が白い服(仏教徒にとって神聖な服?)を着て、タートルアンの祭りに集まってお祈りを捧げます。



 この後から本格的に出店がでたり、ステージでいろいろな企画が始まっていきます。今年は行かなったので、写真で紹介できないのが残念ですが、まだまだ遊ぶ場所の少ないビエンチャンの人々は、ここで服を買ったり、ご飯を食べたり、ステージでショーを見て楽しみます。もとも、こういうところで遊びだけでなく、タートルアンの仏塔を、花などをもって3周します(本来は3周するらしいですが、1周して終わる人も多そうです)。

 最終日の11月3日の朝から始まる托鉢には、たくさんのビエンチャンの人々参加します。大統領や首相も参加したようです。もの凄い人なので、暗いうちに出発しないといけないそうです。また、ある程度きちんとした服装で行くことが求められ、特に女性はスアと呼ばれるシャツと、シンと呼ばれる巻きスカートを着飾ってこの托鉢にします。
 
 私は行かなかったので、下の写真は、Lao Simply BeautyというFaceBookのページからもらって来たその托鉢の朝の日の写真です。びっくりするくらいたくさんの人が参加しているのが分かります。

ローイカトンと白いカラスの話
2017.10.16
 先週、ビエンチャンでは、10月5日のオークパンサー(安居明け)の日にローイカトン(灯篭流し)が行われ、10月6日にボートレースが行われたという記事を書きました。ちょうどその頃に、ローイカトンにまつわる話がラオスのインターネットサイトで紹介されていたので、それを紹介します。

 ボートースは昼間に行われるので、多くのビエンチャンっ子たちは暑いので参加する人がそれほど多くありませんが、ローイカトンは日が沈み大分涼しくなっていること、またメコン川沿いにいろいろな出店があることから、多くの人が参加します。縫製工場の職員の中にもローイカトンのために、メコン川沿いまで行った人もいるようです。

 次からが、Laos Lan Shareというホームページに載っていた、ローイカトンの話になります。

<灯篭流しの話>
 昔、ある白いカラスの夫婦が、水辺のいちじくの木の上に巣を作りました。孵化しそうな卵が5つありました。ある日、風が強く、いちじくの木が折れ、水の中に倒れてしまい、白のカラスの夫婦は、二人共死んでしまいました。また、5つの卵は、水に流されてしまいました。

 卵の殻を破りでてくると、ある家の前で、勇気のある大人の人となっていました。それから、出家をして、仏陀あるいは仙人のようになりたいと思いました。出家後は、一人ひとりが敬虔になりました。5人は、5人ともお父さんとお母さんは同じかどうか知らなかったので、お父さんとお母さんの顔を見たくなりました。

 あくる日、仙人となった5人は、自分たちがどこから来たのか、お互いに話をするために、一緒に集まりました。偶然、それぞれがもっとも気になることは、お父さんとお母さんの顔が見たいということで同じでした。それから、突然、そのお父さんとお母さんと会いたいという願いが、天国のお父さんとお母さんに届き、5人の子どものもとへ舞い降りてきたのです。そして、あなたたちのお父さんとお母さんは、白いカラスであるということを伝えました。5人がこのことを知った時、自分たちのお父さんとお母さんが白いカラスであることはとてもうれしく、ご先祖様へ敬意を表したいと言いました。白いカラスの夫婦は、すべての事情を子供達に語り聞かせ、天国へと帰りました。白いカラスが天国の帰る前に、5人の子どもたちは、白いカラスの夫婦が、石を粉々にして、それが足跡になるようにお願いしました。白いカラスの夫婦に恋しく思ったときに、畏敬の念を払い、お供えするすることができるようにするためにです。毎年11月の満月の日にご先祖様への恩を思い出すために、白いカラスの夫婦は、子どもたちに、綿を合わせて一本のひもをつくり、器や皿におき、それから油で火を灯しお供えをし、お寺に行き、天国にいるお父さんとお母さんとお坊さんの説教を聞くように言いました。

 このことから、旧暦の11月の月が満ちる日の15日目と月が欠ける日の1日目に、白いカラスの夫婦の5人の子どもたちは、道徳を説くために人間の世界に降りてきます。たくさんの人々が、木で舟の模型をつくります。綿を持ってきて1つにまとめたものは、バッテンにして油の入った器にいれられ、お供え物を灯すために使います。あるいは、お父さんとお母さんの恩に敬意を表し思い出すために、シュラブの木の葉、バナナの木を持ってきて蓮の花や舟、鉢の模型を作り、川に流します。道徳的なことを伝えるために、人間の世界に降りてくる5人の仙人にお供え物をします。5人の白いカラスの子どもの名前は、自分たちのお父さんとお母さんの名前から得たもので、人々の多くは、5人の仙人の名前を覚えていて、次のようにお経を唱えます。ククサント、コーナカマノ、ガッサポー、イアイニャメットタイニョー。そのため、人間である私たちは、お父さんとお母さんに敬意を表し思い出すために、仏様や道徳的なことを伝えるために人間の世界の降りてきた5人の仙人をお供えするために、火の灯った舟を作り、蓮の花の鉢を作ります。

※Laos Lan Shareのホームページにあった写真




※以下が原文になります。
<ນິທານບຸນໄຫຼເຮືອໄຟ>

ແຕ່ກ່ອນມີຄູ່ຜົວເມຍກາເຜືອກເຮັດຮັງຢູ່ເທິງຕົ້ນເດື່ອແຄມນໍ້າ ແລະ ມີໄຂ່ກຳລັງຈະຝັກຫ້າໜ່ວຍ, ມີມື້ໜຶ່ງລົມພາຍຸເກີດຂຶ້ນເຮັດໃຫ້ຕົ້ນເດື່ອຖືກພັດຫັກລົງນໍ້າ, ກາເຜືອກທັງສອງແມ່ນໄດ້ເສຍຊີວິດ, ສ່ວນໄຂ່ທັງຫ້າໜ່ວຍແມ່ນໄດ້ໄຫລໄປຕາມນໍ້າ,

ໃນເມືອໄຂ່ທັງຫ້າໜ່ວຍໄດ້ແຕກອອກມາເປັນຄົນຜູ້ໃຫຍ່ກ້າໜ້າບານຂຶ້ນມາກໍ່ຄິດຢາກຈະອອກໄປບວດເປັນພະລືສີທຳມະໂພທິສັດ, ພາຍຫລັງອອກບວດແລ້ວທຸກຄົນກໍ່ມີໃຈໃສສັດທາຢາກເຫັນໜ້າບິດາມານດາຜູ້ບັງເກີດເກົ້າຂອງຕົນໂດຍທີທັງຫ້າແມ່ນບໍ່ຮູ້ວ່າພວກເຂົາມີພໍ່ແມ່ດຽວກັນ

ມາມື້ໜຶ່ງລືສີທັງຫ້າໄດ້ມາພົບກັນຈຶ່ງໄດ້ມີການຖາມຂ່າວໂອ້ລົມສົນທະນາລະຫວ່າງກັນ ແລະ ກັນວ່າຈາກບ້ານເມືອງໃດ, ໃນເວລານັ້ນປະກົດວ່າຄວາມຕັ້ງໃຈຂອງແຕ່ລະຄົນແມ່ນຢາກເຫັນໜ້າມານດາບິດາຄືກັນອັນເປັນເລື່ອງບັງເອີນ, ໃນທັນໃດນັ້ນກໍ່ປະກົດວ່າຄວາມປາດຖະໜາດັ່ງກ່າວໄດ້ຮ້ອນເຖິງມານດາບິດາທີ່ຢູ່ເທິງສະຫວັນຊັ້ນດາວະດິງດ້ວຍເຫດນັ້ນສອງພະອົງຈິ່ງໄດ້ສະເດັດລົງມາພົບລູກທັງຫ້າ ແລະ ກ່າວຂຶ້ນວ່າມານດາບິດາຂອງພວກເຈົ້າແມ່ນພວກເຮົາກາເຜືອກນີ້ແລ້ວ, ເມື່ອລູກທັງຫ້າຮັບຮູ້ວ່າກາເຜືອກແມ່ນມານດາບິດາຂອງຕົນກໍ່ພາກັນດີໃຈ ແລະ ສະແດງຄວາມເຄົາລົບຄາລະວະຕໍ່ບັນພະບູລຸດຂອງຕົນ, ພະຍາກາເຜືອກໄດ້ເລົ່າເຫດການທັງໝົດໃຫ້ັພວກລູກໆຟັງແລ້ວກັບຄືນສູ່ສະຫວັນ, ແຕ່ກ່ອນທີ່ຈະກັບລູກທັງຫ້າໄດ້ຮ້ອງຂໍໃຫ້ພະຍາກາເຜືອກທັງສອງຢຽບຫີນສິລາໃຫ້ເປັນຮອຍຕີນໄວ້ເພື່ອເປັນທີ່ເຄົາລົບບູຊາໃນຍາມຄິດຮອດຄິດເຖິງພະຍາກາເຜືອກໄດ້ສັ່ງລູກໆວ່າເພື່ອເປັນການລະນຶກເຖິງບຸນຄຸນຂອງບັນພະບູລຸດເມື່ອເຖິງເດືອນສິບເອັດເພັງຂອງທຸກໆປີໃຫ້ພວກລູກຝັ້ນຝ້າຍເຮັດເປັນຕີກາເອົາວາງໃສ່ຖ້ວຍ ຫລື ຈານແບນ ແລ້ວເອົານໍ້າມັນຖອກໃສ່ໄຕ້ບູຊາ ແລ້ວຂຶ້ນໄປຟັງທຳມະເທດສະໜານໍາມານດາບິດາຢູ່ເທິງສະຫວັນເດີ້ລູກເດີ້!

ດັ່ງນັ້ນໃນ ມື້ຂຶ້ນ15 ຄໍ່າ ແລະ ແຮມ 1 ຄໍ່າ ເດືອນ 11 ເພັງ ລູກໆທັງຫ້າຂອງພະຍາກາເຜືອກໄດ້ກັບຄືນລົງສູ່ໂລກມະນຸດເພື່ອເຜີຍແຜ່ສິນລະທຳຄຳສອນ, ມະນຸດທັງຫລາຍຈິ່ງໄດ້ເອົາໄມ້ມາເຮັດເປັນຮູບເຮືອ, ເອົາຝ້າຍມາຝັ້ນເປັນຕີນກາໃສ່ຖ້ວຍນໍ້າມັນຢາຍເປັນຫວ່າງສະເໝີກັນເພື່ອໄຕ້ບູຊາ ຫລື ເອົາໃບຕອງ ຫລື ຕົ້ນກ້ວຍມາເຮັດເປັນຮູບດອກບົວ, ຮູບເຮືອ ຫລື ກະທົງ ແລະ ໄຫລໄປຕາມແມ່ນໍ້າເພື່ອນ້ອມລະນຶກເຖິງຄຸນມານດາບິດາ ບູຊາພະເຈົ້າທັງຫ້າພະອົງທີ່ສະເດັດລົງມາຍັງໂລກມະນຸດເພື່ອເຜີຍແຜ່ສິນລະທຳຄຳສອນ, ສຳລັບລູກພະຍາກາເຜືອກທັງຫ້າແມ່ນໄດ້ເອົາຊື່ມານດາບິດາບຸນທຳຂອງຕົນເປັນຊື່ນັບແຕ່ນັ້ນເປັນຕົ້ນມາ, ມະນຸດທັງຫລາຍຈຶ້ນຂະໜານນາມພະເຈົ້າທັງຫ້າພະອົງວ່າ : ກຸກຸສັນໂທ, ໂກນາຄະມະໂນ, ກັດສະໂປ, ສີອະລິຍະເມດໄຕໂຍ, ສະນັ້ນມະນຸດພວກເຮົາຈຶ່ງເຮັດເຮືອໄຟ, ກະໂທງດອກບົວ ເພື່ອນ້ອມລະນຶກເຖິງຄຸນມານດາບິດາ ແລະ ບູຊາພະຣັດຕະນະໄຕຣ ລວມເຖິງພຮະເຈົ້າທັງຫ້າພະອົງທີ່ສະເດັດລົງມາເຜີຍແຜ່ສິນລະທຳໃນໂລກມະນຸດ.

参考URL:http://www.laoslanshare.com/2017/10/blog-post_43.html
オークパンサーとボート祭りで縫製工場はお休みでした。
2017.10.09
 10月4日はブン・オークパンサーで、10月5日はボート祭りで縫製工場はお休みでした。また、4日が木曜日、5日が金曜ということ、6日の土曜日も休みになり、先週末は4連休でした。ビエンチャン市内の会社は、運送会社から会計事務所まで、どこもお休みだったようで、ヴィエンチャンの多くが、オークパンサーとボートレースをビエンチャン市内で楽しんだり、あるいは他県などに旅行に行って楽しいだようです。

(参考)2017年ラオスの祝日・祭日を紹介!!
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00025.html

 さて、10月4日のオークパンサーとは、日本語で「安居明け」のことを言います。7月8日に始まったカオパンサー(入安居)から約3ヶ月間は、お坊さんが厳しい修行をする期間で、お坊さん以外の仏教徒も、お酒を飲むのを控えたり、結婚式などの行事を控えたりします。このオークパンサ(安居明け)以降は、今まで控えていた結婚式が行われるようになったりして、ラオス全体が一気に文化的にも、社会的にも一気に盛り上がっていきます!!

 ラオス人にとって、オークパンサーは、カオパンサー(安居入りの日)、ホーカオパダップディン(土地にお供え物をして讚える日)、ホーカオサラーク(くじ引きでご飯を選んでいただく日)と並んでもっとも大切な仏教の日なので、大勢の人が朝から、お坊さんへのご飯等を用意してお寺にお参りにいきます。

 また、このオークパンサーの日は、朝、お寺に行った後にも、いろいろあります。

 まず、夕方、日が沈んでからは家に前にロウソクを供え、花火を打ち上げ、家の安全を祈ります。

 下のような写真の感じで、門塀や玄関などにロウソクを灯します。
 

 そして、下のような花火や爆竹で、「バンッ!!バンッ!!」と音とを立てていきます。


 さらに、この後、お寺に行き、花とロウソクを持ってお寺の周りを周ります。これはビエンティアンと呼ばれます。このビエンティアンの後に、バナナの茎の舟を川に流しにいきます。これはローイカトンと呼ばれ、悪いものを流していこうと意味があるようです。また、カップルたちが、それぞれのが1つづつ、2つのバナナの茎の船を流し、その2つの舟が一緒に流れていけば将来に渡って幸せな家庭を築き、バラバラにいけば別れるという言い伝えもあるようです。私はみたところ、そんな運試しのようなことをするカップルは見当たらず、みんな仲良く1つのバナナの茎の舟を一緒に流していました。

 この日はロイカトンのために、たくさんの人が道沿いでバナナの茎の舟を売っています。私が買ったときには、最後の1つでした。


 ちなみに下のバナナの茎の舟は、10,000kip(大体140円くらい)です。


 そして、近くの川に行くと、たくさんの人が川に、このバナナの茎の舟をながしています。


 また、したの写真のように風船(?)を飛ばしている人もいます。


 首都ビエンチャンで、このオークパンサー明けと共に、街全体を盛り上げるのが、10月5日のボート祭りです。ラオスでは、タートルアン祭りと並んで、もっとも大きなお祭りです。この時期は、メコン川沿いの道路は通行止めとなり、お祭りのブースが並びます。

 下のボート祭りの様子です。私は行かなったので、友人が撮った写真をお借りしました。





 この10月のオークパンサー・ボートレースが終わってから、ラオス、特にビエンチャンは、11月のタートルアン祭り、12月の年末年始に向けて一気に、国全体の気持ちが盛り上がっていきます。
 

- CafeNote -