海外ラオスにある小ロットを得意とする縫製工場

CREATIVE BUSINESS CORP., (LAO) LTD.





3月8日は女性の日で縫製工場はお休みでした。
2017.03.09
 3月8日は女性の日で、工場はお休みでした。3月8日の女性の日というのは日本では、馴染みが薄いですが、ラオスを含め、世界のいくつかの地域では大切な休日のようです。

※ラオスの年間の祝日については、次のリンクを見てください。
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00025.html
 
 この女性の日は、1904年にアメリカで女性が参政権を求めてデモを起こしたことがきっかけになったようで、その後、次のような経緯があるそうです。一番下のリンク先のニュースがよくまとめているので該当部分を日本語に訳します。

「最初の公式としての女性の日は、1909年に、ニューヨークで一日開催のいくつかの大きなイベントを開催したアメリカの社会主義者の人々によって宣言されました。主催者は、2月28日の日曜日を選んだため、働く女性も参加することができました。そして、うまくいきました。そのイベントは、優先順位や戦略をめぐって過去に何度か衝突していた婦人参政権論者や社会主義者を含む、何千人もの人々を惹きつけました。「女性の義務が、家庭や母性に集中するというのは真実です。」ブルックリンの群衆の中で作家で改革者であるシャーロット・パーキン・ギルマンは言いました。そして、次のように続けたのです。「しかし、家庭は、すべての国を意味します。市や州の3つや4つの部屋には制限されません。

 2,3年の間に、労働や女性の権利に関係する大義のための「女性の日」のコンセプトは、ヨーロッパへと伝わっていきました。統計の中には、100万人以上の人々が、1911年3月19日の集会に出席したとするものがあります。1917年には、ロシアのフェミニストのアレキサンドラ・コロンタイが、皇帝ニコライ2世の退位とロシア革命を引き起こす大きなデモを導きました。敬意を表して、レーニンは1922年に、女性の日を公式の祝日にしました。中国とスペインの共産主義者も、公式に、女性の日を祝うことを始めました。1960年代半ばまで、国際女性の日は、共産主義者の祝日として残っていました。1975年には、国連が、公式に、国際女性の日を3月8日として認めました。」

 なんと、女性の日のデモは、ロシアの2月革命と関わっているんですね。そして、今年は、2017年のちょうど100年ですね!! (しかし、社会主義の国でも、3月8日の政治的な意味合いはなくなり、女性に感謝する日となっているようです。)
 
 さて、話はラオスの休日に戻ります。上にリンクを張ったラオスの年間の祝日にも書きましたが、ラオスには建国記念日のように民間企業・役所を問わず祝日になる祝日と、一部の企業等が休みになる祝日があります。この女性の日は、後者の一部の企業等が休みになる祝日です。なので、企業によっては、役所によっては、仕事をしているところもあります。

 ここには2つの考え方があるようです。一つは、女性の日だから女性だけを仕事を休みにして男性には働いてもらおうと考え方です。もう一つは、女性だけが休みになっても、家では家事をしなければなりません。だから、男性もこの日は仕事を休んで、男性に家事もすべてやって、女性が休めるように、女性だけでなく、男性も休みにしようという考え方です。

 どちらの考えにとってもラオスでは3月8日は、男性が女性が、特に尽くさなければならない日のようです。また、前日の3月7日には、職場によっては、男性陣が、日頃の女性への感謝の気持ちを示すためにパーティを催すところもあるようです。ちなみにイタリアでは、3月8日は「ミモザの日」と呼ばれ、男性が、母親や妻、会社の同僚などのミモザを送るそうです。日本男児は、普段から奥さんや母親に日頃の感謝をなかなか口に出して伝えられていない人も多いと思うので、是非、この女性の日が日本に広がるといいですね☆☆


※参考URL:
http://www.slate.com/articles/double_x/doublex/2017/03/this_week_s_strike_is_taking_international_women_s_day_back_to_its_radical.html
"The week's strike is taking International Woman's Day Back to Its Radical American Roots. の一部
The first official National Woman’s Day was declared in 1909 by the Socialist Party of America, which held several large events on a single day in New York City. Organizers chose a Sunday, Feb. 28, so working women could participate. It worked: The events attracted thousands of people, including both suffragists and socialists, who had sometimes clashed in the past over priorities and strategies. “It is true that a woman’s duty is centered in her home and motherhood,” writer and reformer Charlotte Perkins Gilman told a crowd in Brooklyn, “but home should mean the whole country, and not be confined to three or four rooms of a city or a state.”

Within a few years, the concept of a “women’s day” for causes related to labor and women’s rights had taken off in Europe. By some estimates, more than 1 million people attended rallies worldwide on March 19, 1911. In 1917, Russian feminist Alexandra Kollontai led a massive protest that helped set off the abdication of Czar Nicholas II and the Russian Revolution. In deference, Lenin declared Woman’s Day an official holiday in 1922. Chinese and Spanish Communists began formally celebrating it, too, and International Women’s Day remained a communist holiday until the mid-1960s. In 1975, the United Nations officially recognized March 8 as International Women’s Day.

⇒上の部分が私が日本語に訳した部分ですが、その他にも興味深い話があるので、是非、お時間のある方は全文を読んでみてください。

- CafeNote -