海外ラオスにある小ロットを得意とする縫製工場

CREATIVE BUSINESS CORP., (LAO) LTD.





縫製サンプルをインスタグラムにアップしています!!
2017.10.30
 営業用のものなど、縫製工場ではいろいろ縫製サンプルを作っています。そして、その一部を縫製サンプルとして、インスタグラムにアップしています。せっかく世界に向けて、いろいろ情報を発信していくツールがあるのだから、それを使わない手をないですよね!! 

 インスタグラムのID名は、mountainstarskyです。

 https://www.instagram.com/mountainstarsky/

 このインスタがグラムには、ラオス工場で縫製したサンプルとタイ工場で縫製したサンプルが両方が載っていますが、ここではいくつかラオス工場で縫製したサンプルを紹介します。

 まず下のパンツは、膝下の部分がグラデーションになっているパンツです。どのように作るのかというと、一番下の色の濃い部分を中に織り込んで、つまむようにして下の膝下部分に縫い付けます。それから、ブリーチ加工をして、洗い上がって来てから、その糸をほどきます。内側に折り込まれた部分と、つまむようにして縫った部分が色は、あまり脱色されずに色が濃いまま残ります。



 下のシャツは、チェンマイコットンを使ったパッチワークシャツです。タイ工場では、チェンマイコットンを手配することができ、そのチェンマイコットンを中心に8種類の生地を使って縫製しました。画面では分かりにくいですが、一つ一つの柄もとてもきれいなのですが、それらが組み合わさせるとさらに良い雰囲気に仕上がっています。パッチワークのように手間がかかる縫製も得意としています。



 下の切替のスカートは、すべて同じ生地を使って縫製しています。まず、生地に洗い加工を施します。バイオ加工(一番濃い部分)にブリーチ加工が2種類です。洗い加工後に、それぞれのパーツを裁断し、縫製していきます。1つの生地でも、洗い加工によって、さまざまな色を作っていけることも、洗い加工の面白さです。



 下のスカートは、裾部分がグラデーションになっています。洗い加工後に、糸をほどいただけですが、裾口部分がグラデーションになり、また、裾口が切りっぱなしになります。ちょっとしたことで、アクセントを加えることができます。



 上のような感じで、一度縫っておいて洗い加工後に糸をほどいたり、パッチワークをしたり、先に生地洗いをしてから裁断したりと、一手間かけるような縫製を、CBC Laoは得意としています!! 是非、お問い合わせください!!
2017.10.30 09:55 | 固定リンク | 縫製のこと
YKKのジッパー(ファスナーテープ)は色がいっぱい!!
2017.10.23
 日本のアパレル会社さんとお仕事をしていると、使うジッパー(ファスナーテープ)は間違いなくYKKのものです。そして、CBC Laoのお客さんは日本のアパレル会社さんですので、必然的にYKKさんにジッパー(ファスナーテープ)をオーダーすることになります。

 YKKさんは、アパレル用のジッパー以外にも、凄いところでは宇宙服用のジッパー等も作っているようで、様々な用途のためにジッパーを生産しているようです。YKKさんのホームページを見ると、いろいろな用途に使われて、ジッパーといっても奥が深いのだなと関心してしまいます。

 もっとも、CBC Laoで使用するジッパーはアパレル用のものだけです。しかし、その色の数、その種類は本当にたくさんあります。

 下の本がYKKさんのジッパーの色台帳です。


 この本を開くをジッパーの色見本がでてきます。青といっても、たくさんの種類の青があるのが、下の台帳をみると分かります。




 上のジッパーの色を数えてみると、何と577色ありました。すごい数です。

 また、ジッパーの種類もいろいろあります。よくデニムのパンツなどに使われている金属製のジッパー、スーツのパンツに使わているプラスチックのジッパー、クッションカバーなどに使われるジッパーが隠れるようになっているコンシールファスナーなどいろいろあります。

 すべての種類のカタログは有るわけでありませんが、次のようなカタログがあります。


 
 中を見てみると、それぞれのジッパーの見本と品番が書いています。






 上で紹介した「色の種類」×「形状の種類」がYKKさんにオーダーできるジッパーの数になります。ものすごい数なのがわかります!! ジッパーは通常、YKKさんのタイ支社に発注していて、本数にもよりますが2週間前後でデリバリーされています。

 このようにたくさんあるジッパーの色と種類なので、アパレル会社さんからのジッパーの指定も「青い金属製のジッパーで」では、まったくどのジッパーのことを言ってるかわかりません。なので、アパレル会社さんも、同じYKKさんのカタログを持っていて、ジッパーの色と形状の番号が指定されてきます。色と番号を指定していただければ、上で紹介した本で、どんな色でどんな形を確認した上で、ジッパーを発注することができます。

2017.10.23 09:55 | 固定リンク | 縫製のこと
ローイカトンと白いカラスの話
2017.10.16
 先週、ビエンチャンでは、10月5日のオークパンサー(安居明け)の日にローイカトン(灯篭流し)が行われ、10月6日にボートレースが行われたという記事を書きました。ちょうどその頃に、ローイカトンにまつわる話がラオスのインターネットサイトで紹介されていたので、それを紹介します。

 ボートースは昼間に行われるので、多くのビエンチャンっ子たちは暑いので参加する人がそれほど多くありませんが、ローイカトンは日が沈み大分涼しくなっていること、またメコン川沿いにいろいろな出店があることから、多くの人が参加します。縫製工場の職員の中にもローイカトンのために、メコン川沿いまで行った人もいるようです。

 次からが、Laos Lan Shareというホームページに載っていた、ローイカトンの話になります。

<灯篭流しの話>
 昔、ある白いカラスの夫婦が、水辺のいちじくの木の上に巣を作りました。孵化しそうな卵が5つありました。ある日、風が強く、いちじくの木が折れ、水の中に倒れてしまい、白のカラスの夫婦は、二人共死んでしまいました。また、5つの卵は、水に流されてしまいました。

 卵の殻を破りでてくると、ある家の前で、勇気のある大人の人となっていました。それから、出家をして、仏陀あるいは仙人のようになりたいと思いました。出家後は、一人ひとりが敬虔になりました。5人は、5人ともお父さんとお母さんは同じかどうか知らなかったので、お父さんとお母さんの顔を見たくなりました。

 あくる日、仙人となった5人は、自分たちがどこから来たのか、お互いに話をするために、一緒に集まりました。偶然、それぞれがもっとも気になることは、お父さんとお母さんの顔が見たいということで同じでした。それから、突然、そのお父さんとお母さんと会いたいという願いが、天国のお父さんとお母さんに届き、5人の子どものもとへ舞い降りてきたのです。そして、あなたたちのお父さんとお母さんは、白いカラスであるということを伝えました。5人がこのことを知った時、自分たちのお父さんとお母さんが白いカラスであることはとてもうれしく、ご先祖様へ敬意を表したいと言いました。白いカラスの夫婦は、すべての事情を子供達に語り聞かせ、天国へと帰りました。白いカラスが天国の帰る前に、5人の子どもたちは、白いカラスの夫婦が、石を粉々にして、それが足跡になるようにお願いしました。白いカラスの夫婦に恋しく思ったときに、畏敬の念を払い、お供えするすることができるようにするためにです。毎年11月の満月の日にご先祖様への恩を思い出すために、白いカラスの夫婦は、子どもたちに、綿を合わせて一本のひもをつくり、器や皿におき、それから油で火を灯しお供えをし、お寺に行き、天国にいるお父さんとお母さんとお坊さんの説教を聞くように言いました。

 このことから、旧暦の11月の月が満ちる日の15日目と月が欠ける日の1日目に、白いカラスの夫婦の5人の子どもたちは、道徳を説くために人間の世界に降りてきます。たくさんの人々が、木で舟の模型をつくります。綿を持ってきて1つにまとめたものは、バッテンにして油の入った器にいれられ、お供え物を灯すために使います。あるいは、お父さんとお母さんの恩に敬意を表し思い出すために、シュラブの木の葉、バナナの木を持ってきて蓮の花や舟、鉢の模型を作り、川に流します。道徳的なことを伝えるために、人間の世界に降りてくる5人の仙人にお供え物をします。5人の白いカラスの子どもの名前は、自分たちのお父さんとお母さんの名前から得たもので、人々の多くは、5人の仙人の名前を覚えていて、次のようにお経を唱えます。ククサント、コーナカマノ、ガッサポー、イアイニャメットタイニョー。そのため、人間である私たちは、お父さんとお母さんに敬意を表し思い出すために、仏様や道徳的なことを伝えるために人間の世界の降りてきた5人の仙人をお供えするために、火の灯った舟を作り、蓮の花の鉢を作ります。

※Laos Lan Shareのホームページにあった写真




※以下が原文になります。
<ນິທານບຸນໄຫຼເຮືອໄຟ>

ແຕ່ກ່ອນມີຄູ່ຜົວເມຍກາເຜືອກເຮັດຮັງຢູ່ເທິງຕົ້ນເດື່ອແຄມນໍ້າ ແລະ ມີໄຂ່ກຳລັງຈະຝັກຫ້າໜ່ວຍ, ມີມື້ໜຶ່ງລົມພາຍຸເກີດຂຶ້ນເຮັດໃຫ້ຕົ້ນເດື່ອຖືກພັດຫັກລົງນໍ້າ, ກາເຜືອກທັງສອງແມ່ນໄດ້ເສຍຊີວິດ, ສ່ວນໄຂ່ທັງຫ້າໜ່ວຍແມ່ນໄດ້ໄຫລໄປຕາມນໍ້າ,

ໃນເມືອໄຂ່ທັງຫ້າໜ່ວຍໄດ້ແຕກອອກມາເປັນຄົນຜູ້ໃຫຍ່ກ້າໜ້າບານຂຶ້ນມາກໍ່ຄິດຢາກຈະອອກໄປບວດເປັນພະລືສີທຳມະໂພທິສັດ, ພາຍຫລັງອອກບວດແລ້ວທຸກຄົນກໍ່ມີໃຈໃສສັດທາຢາກເຫັນໜ້າບິດາມານດາຜູ້ບັງເກີດເກົ້າຂອງຕົນໂດຍທີທັງຫ້າແມ່ນບໍ່ຮູ້ວ່າພວກເຂົາມີພໍ່ແມ່ດຽວກັນ

ມາມື້ໜຶ່ງລືສີທັງຫ້າໄດ້ມາພົບກັນຈຶ່ງໄດ້ມີການຖາມຂ່າວໂອ້ລົມສົນທະນາລະຫວ່າງກັນ ແລະ ກັນວ່າຈາກບ້ານເມືອງໃດ, ໃນເວລານັ້ນປະກົດວ່າຄວາມຕັ້ງໃຈຂອງແຕ່ລະຄົນແມ່ນຢາກເຫັນໜ້າມານດາບິດາຄືກັນອັນເປັນເລື່ອງບັງເອີນ, ໃນທັນໃດນັ້ນກໍ່ປະກົດວ່າຄວາມປາດຖະໜາດັ່ງກ່າວໄດ້ຮ້ອນເຖິງມານດາບິດາທີ່ຢູ່ເທິງສະຫວັນຊັ້ນດາວະດິງດ້ວຍເຫດນັ້ນສອງພະອົງຈິ່ງໄດ້ສະເດັດລົງມາພົບລູກທັງຫ້າ ແລະ ກ່າວຂຶ້ນວ່າມານດາບິດາຂອງພວກເຈົ້າແມ່ນພວກເຮົາກາເຜືອກນີ້ແລ້ວ, ເມື່ອລູກທັງຫ້າຮັບຮູ້ວ່າກາເຜືອກແມ່ນມານດາບິດາຂອງຕົນກໍ່ພາກັນດີໃຈ ແລະ ສະແດງຄວາມເຄົາລົບຄາລະວະຕໍ່ບັນພະບູລຸດຂອງຕົນ, ພະຍາກາເຜືອກໄດ້ເລົ່າເຫດການທັງໝົດໃຫ້ັພວກລູກໆຟັງແລ້ວກັບຄືນສູ່ສະຫວັນ, ແຕ່ກ່ອນທີ່ຈະກັບລູກທັງຫ້າໄດ້ຮ້ອງຂໍໃຫ້ພະຍາກາເຜືອກທັງສອງຢຽບຫີນສິລາໃຫ້ເປັນຮອຍຕີນໄວ້ເພື່ອເປັນທີ່ເຄົາລົບບູຊາໃນຍາມຄິດຮອດຄິດເຖິງພະຍາກາເຜືອກໄດ້ສັ່ງລູກໆວ່າເພື່ອເປັນການລະນຶກເຖິງບຸນຄຸນຂອງບັນພະບູລຸດເມື່ອເຖິງເດືອນສິບເອັດເພັງຂອງທຸກໆປີໃຫ້ພວກລູກຝັ້ນຝ້າຍເຮັດເປັນຕີກາເອົາວາງໃສ່ຖ້ວຍ ຫລື ຈານແບນ ແລ້ວເອົານໍ້າມັນຖອກໃສ່ໄຕ້ບູຊາ ແລ້ວຂຶ້ນໄປຟັງທຳມະເທດສະໜານໍາມານດາບິດາຢູ່ເທິງສະຫວັນເດີ້ລູກເດີ້!

ດັ່ງນັ້ນໃນ ມື້ຂຶ້ນ15 ຄໍ່າ ແລະ ແຮມ 1 ຄໍ່າ ເດືອນ 11 ເພັງ ລູກໆທັງຫ້າຂອງພະຍາກາເຜືອກໄດ້ກັບຄືນລົງສູ່ໂລກມະນຸດເພື່ອເຜີຍແຜ່ສິນລະທຳຄຳສອນ, ມະນຸດທັງຫລາຍຈິ່ງໄດ້ເອົາໄມ້ມາເຮັດເປັນຮູບເຮືອ, ເອົາຝ້າຍມາຝັ້ນເປັນຕີນກາໃສ່ຖ້ວຍນໍ້າມັນຢາຍເປັນຫວ່າງສະເໝີກັນເພື່ອໄຕ້ບູຊາ ຫລື ເອົາໃບຕອງ ຫລື ຕົ້ນກ້ວຍມາເຮັດເປັນຮູບດອກບົວ, ຮູບເຮືອ ຫລື ກະທົງ ແລະ ໄຫລໄປຕາມແມ່ນໍ້າເພື່ອນ້ອມລະນຶກເຖິງຄຸນມານດາບິດາ ບູຊາພະເຈົ້າທັງຫ້າພະອົງທີ່ສະເດັດລົງມາຍັງໂລກມະນຸດເພື່ອເຜີຍແຜ່ສິນລະທຳຄຳສອນ, ສຳລັບລູກພະຍາກາເຜືອກທັງຫ້າແມ່ນໄດ້ເອົາຊື່ມານດາບິດາບຸນທຳຂອງຕົນເປັນຊື່ນັບແຕ່ນັ້ນເປັນຕົ້ນມາ, ມະນຸດທັງຫລາຍຈຶ້ນຂະໜານນາມພະເຈົ້າທັງຫ້າພະອົງວ່າ : ກຸກຸສັນໂທ, ໂກນາຄະມະໂນ, ກັດສະໂປ, ສີອະລິຍະເມດໄຕໂຍ, ສະນັ້ນມະນຸດພວກເຮົາຈຶ່ງເຮັດເຮືອໄຟ, ກະໂທງດອກບົວ ເພື່ອນ້ອມລະນຶກເຖິງຄຸນມານດາບິດາ ແລະ ບູຊາພະຣັດຕະນະໄຕຣ ລວມເຖິງພຮະເຈົ້າທັງຫ້າພະອົງທີ່ສະເດັດລົງມາເຜີຍແຜ່ສິນລະທຳໃນໂລກມະນຸດ.

参考URL:http://www.laoslanshare.com/2017/10/blog-post_43.html
ホームページ開設1周年を迎えました!!
2017.10.12
 2016年10月8日にホームページを開設したので、ちょうど今週ホームページ開設を1周年を迎えました。

 ホームページは、次の3つのことを目標に作りました。

1.1つの営業ツールとして、CBC Laoのことを知ってもらい、オーダーにつなげること。
2.なかなか情報のない海外の縫製工場のことを、伝えること。
3.せっかくラオスという国にあるので、縫製工場の日常を通して、ラオスの社会・文化を伝えること。

 ホームページには、工場内の様子等が分かる写真を多く使い、また、祝日が重ならない限り、週2回ずつ、縫製のこと、縫製工場のこと、ラオスの文化・社会のことをブログに書いてきました。

 アクセス数はまだまだ少ないですが、海外の縫製工場やそれを取り囲んでいる社会や文化のことは、それなりに伝えることができているのではないかと思います。私が探した限り、海外の縫製工場のことが分かるようなホームページは、まだまだ少ないようなので、小さなことでも伝える意味があると感じています。

 これからも上の3つの目標に向かって、少しずつホームページを充実させて行きたいと思います。また、何かにホームページがgoogleに認めてもらうためには、最低1年は経っていないといけないというように読んだので、ホームページ開設1年でスタート地点に立ったと思い、初志を大切にしてながらホームページ運営に取り組んでいきます!!

 ただ、ブログの週に2回更新はきつくなってきたので、ひとまず週1回の月曜更新にしていきます。(書くネタなくなってきました。)

 これからもよろしくお願いいたします!!
2017.10.12 10:00 | 固定リンク | 縫製工場の日常
オークパンサーとボート祭りで縫製工場はお休みでした。
2017.10.09
 10月4日はブン・オークパンサーで、10月5日はボート祭りで縫製工場はお休みでした。また、4日が木曜日、5日が金曜ということ、6日の土曜日も休みになり、先週末は4連休でした。ビエンチャン市内の会社は、運送会社から会計事務所まで、どこもお休みだったようで、ヴィエンチャンの多くが、オークパンサーとボートレースをビエンチャン市内で楽しんだり、あるいは他県などに旅行に行って楽しいだようです。

(参考)2017年ラオスの祝日・祭日を紹介!!
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00025.html

 さて、10月4日のオークパンサーとは、日本語で「安居明け」のことを言います。7月8日に始まったカオパンサー(入安居)から約3ヶ月間は、お坊さんが厳しい修行をする期間で、お坊さん以外の仏教徒も、お酒を飲むのを控えたり、結婚式などの行事を控えたりします。このオークパンサ(安居明け)以降は、今まで控えていた結婚式が行われるようになったりして、ラオス全体が一気に文化的にも、社会的にも一気に盛り上がっていきます!!

 ラオス人にとって、オークパンサーは、カオパンサー(安居入りの日)、ホーカオパダップディン(土地にお供え物をして讚える日)、ホーカオサラーク(くじ引きでご飯を選んでいただく日)と並んでもっとも大切な仏教の日なので、大勢の人が朝から、お坊さんへのご飯等を用意してお寺にお参りにいきます。

 また、このオークパンサーの日は、朝、お寺に行った後にも、いろいろあります。

 まず、夕方、日が沈んでからは家に前にロウソクを供え、花火を打ち上げ、家の安全を祈ります。

 下のような写真の感じで、門塀や玄関などにロウソクを灯します。
 

 そして、下のような花火や爆竹で、「バンッ!!バンッ!!」と音とを立てていきます。


 さらに、この後、お寺に行き、花とロウソクを持ってお寺の周りを周ります。これはビエンティアンと呼ばれます。このビエンティアンの後に、バナナの茎の舟を川に流しにいきます。これはローイカトンと呼ばれ、悪いものを流していこうと意味があるようです。また、カップルたちが、それぞれのが1つづつ、2つのバナナの茎の船を流し、その2つの舟が一緒に流れていけば将来に渡って幸せな家庭を築き、バラバラにいけば別れるという言い伝えもあるようです。私はみたところ、そんな運試しのようなことをするカップルは見当たらず、みんな仲良く1つのバナナの茎の舟を一緒に流していました。

 この日はロイカトンのために、たくさんの人が道沿いでバナナの茎の舟を売っています。私が買ったときには、最後の1つでした。


 ちなみに下のバナナの茎の舟は、10,000kip(大体140円くらい)です。


 そして、近くの川に行くと、たくさんの人が川に、このバナナの茎の舟をながしています。


 また、したの写真のように風船(?)を飛ばしている人もいます。


 首都ビエンチャンで、このオークパンサー明けと共に、街全体を盛り上げるのが、10月5日のボート祭りです。ラオスでは、タートルアン祭りと並んで、もっとも大きなお祭りです。この時期は、メコン川沿いの道路は通行止めとなり、お祭りのブースが並びます。

 下のボート祭りの様子です。私は行かなったので、友人が撮った写真をお借りしました。





 この10月のオークパンサー・ボートレースが終わってから、ラオス、特にビエンチャンは、11月のタートルアン祭り、12月の年末年始に向けて一気に、国全体の気持ちが盛り上がっていきます。
 

- CafeNote -