ラオスからはForm AJ(原産地証明)取得で関税免除です。
2017.03.30
※2017年6月2日訂正
本文記事中にあるFormAJ申請時に必要な書類のうち、次の書類の提出が必要なくなりました。
7.生地の原産地証明(County of Origin)
例えば、タイ製の生地であれば、タイ政府からその生地がタイ製であることを証明する書類を発行してもらいます。
昨日、商品を出荷しました。商品は、今日(3月30日)タイ・バンコクに到着し、バンコク港を4月2日に出港、日本の港に届くのは4月15日の予定です。商品は、ラオスを出発して、日本に到着するまで約2週間と少しかかります。それから、通関手続きに約1週間かかり、アパレル会社さんの手元に商品を届きます。
下の写真は、縫製工場の小さなトラックから、タイ・バンコクへ向かう大きなトラックに荷物を移し替えているところです。工場への道は、狭いので大きなトラックが入ってくることができず、二度手間ですが、大きな道まで工場のトラックで運んで行って、そこからタイ・バンコクへ向かうトラックへダンボールを移し替えています。


上の写真のように、出荷が無事に終えることができ、縫製工場として一安心なのは事実です。
しかし、輸出入担当の職員は、出荷後にもまだ仕事が残っています。それは、Form AやForm AJといった原産地証明の取得です。B/L(船荷証券)が、原産地証明の取得するために必要な書類だったりするので、原産地証明の申請は、輸出通関後でなければできません。また、原産地証明を取得することで、ラオスから日本へ商品を輸出する時の関税がゼロになるので、とても重要な書類になります。
※(参考)輸出時に必要な書類については、次のブログの記事をご覧ください。
「海外縫製工場は輸出書類も作成します!!」:http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00011.html
※(参考)Form AとFormAJについて、少し詳しく書いています。
「Form AとForm AJ取得で関税免除です。」:http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00007.html
さて、今日は、輸出入担当の職員が、Form AJ取得のためにどんな書類を用意するかを紹介します。
(Form AJの申請するときに必要な書類)
1.Form AJの申請書
会社から、商工会にForm AJの申請をします。商品のHSコードは何番か、どんな商品が何枚あるのかを簡単に書きます。
2.原産地証明書(Form AJ)
下の写真のフォームに必要事項を書き込んで提出します。役所でサインをもらうと、原産地証明(Form AJ)として使用することができます。

3.原産地証明を取得する商品を輸出したときのインヴォイスとパッキングリスト
インヴォイスと請求書のことで、どのような商品がいくら分入っているかを示す書類です。パッキングリストとはどのダンボールに何が入っているかを示す書類です。
4.原産地証明を取得する商品を輸出したときの輸出申告書(輸出許可証)
輸出申告書はラオスではD13Bと呼ばれていて、商品を輸出する時に税関に向けて作成します。税関の職員からサインをもらうと、この輸出申告書が、輸出許可証になります。
5.船荷証券(Bill of Lading)あるいはAir Waybill
船荷証券は、日本での商品との引換証となります。また、実際に荷物が船に載って日本に向かっていることも証明します。
6.原材料一覧表(List of Row Materials)と生産プロセス表(Working Process)
原材料一覧は、どこの国で作られた原料を使って、商品を縫製したのかを示す書類です。例えば、生地と糸はタイ製、ジッパーは日本製、段ボール箱はラオス製などと書いています。生産プロセス表では、どのような原材料が、縫製のどのプロセスで使われているかを書きます。
7.生地の原産地証明(County of Origin)
例えば、タイ製の生地であれば、タイ政府からその生地がタイ製であることを証明する書類を発行してもらいます。
8.7.の生地を輸入したときのインヴォイス
インヴォイスとは請求書のことで、7.の原産地証明のある生地が、どれくらいの長さが入ってきて、どれくらいの価格なのかが書いてあります。
9.7.の生地を輸入したときの輸入申請書(輸入許可証)と残生地報告書(Fabric Control)
輸入申請書は、ラオスではD52Bと呼ばれていて、税関の職員からサインをもらうと、この書類が輸入許可証となります。
また、残生地報告書(Fabric Control)とは、7.の原産地証明のある生地が、どれくらい残っているかを報告します。例えば、タイ製の生地を1,000m輸入した場合、今回の出荷で300m使ったので、残りのこの生地は700mありますというようなことが書いてあります。
以上の書類を揃えて、商工会(Chamber of Commerce)に申請することで、Form AJが取得できます。商品は、ラオスの国境を越え、タイから日本へ船に載せて運ばれます。最初にも書いたようにタイから日本までは、船で約10日かかります。その10日間の間に、B/L(船荷証券)をタイから送ってもらい、Form AJを申請・取得し、日本のアパレル会社さんに船の到着前のインヴォイスなどと一緒にForm AJが届くようにしなければなりません。なので、船の出荷後の月曜などがタイの祝日になったりすると、結構、時間との戦いだったります。
こんな感じで、海外の縫製工場は輸出企業でもあります!!
本文記事中にあるFormAJ申請時に必要な書類のうち、次の書類の提出が必要なくなりました。
7.生地の原産地証明(County of Origin)
例えば、タイ製の生地であれば、タイ政府からその生地がタイ製であることを証明する書類を発行してもらいます。
昨日、商品を出荷しました。商品は、今日(3月30日)タイ・バンコクに到着し、バンコク港を4月2日に出港、日本の港に届くのは4月15日の予定です。商品は、ラオスを出発して、日本に到着するまで約2週間と少しかかります。それから、通関手続きに約1週間かかり、アパレル会社さんの手元に商品を届きます。
下の写真は、縫製工場の小さなトラックから、タイ・バンコクへ向かう大きなトラックに荷物を移し替えているところです。工場への道は、狭いので大きなトラックが入ってくることができず、二度手間ですが、大きな道まで工場のトラックで運んで行って、そこからタイ・バンコクへ向かうトラックへダンボールを移し替えています。


上の写真のように、出荷が無事に終えることができ、縫製工場として一安心なのは事実です。
しかし、輸出入担当の職員は、出荷後にもまだ仕事が残っています。それは、Form AやForm AJといった原産地証明の取得です。B/L(船荷証券)が、原産地証明の取得するために必要な書類だったりするので、原産地証明の申請は、輸出通関後でなければできません。また、原産地証明を取得することで、ラオスから日本へ商品を輸出する時の関税がゼロになるので、とても重要な書類になります。
※(参考)輸出時に必要な書類については、次のブログの記事をご覧ください。
「海外縫製工場は輸出書類も作成します!!」:http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00011.html
※(参考)Form AとFormAJについて、少し詳しく書いています。
「Form AとForm AJ取得で関税免除です。」:http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00007.html
さて、今日は、輸出入担当の職員が、Form AJ取得のためにどんな書類を用意するかを紹介します。
(Form AJの申請するときに必要な書類)
1.Form AJの申請書
会社から、商工会にForm AJの申請をします。商品のHSコードは何番か、どんな商品が何枚あるのかを簡単に書きます。
2.原産地証明書(Form AJ)
下の写真のフォームに必要事項を書き込んで提出します。役所でサインをもらうと、原産地証明(Form AJ)として使用することができます。

3.原産地証明を取得する商品を輸出したときのインヴォイスとパッキングリスト
インヴォイスと請求書のことで、どのような商品がいくら分入っているかを示す書類です。パッキングリストとはどのダンボールに何が入っているかを示す書類です。
4.原産地証明を取得する商品を輸出したときの輸出申告書(輸出許可証)
輸出申告書はラオスではD13Bと呼ばれていて、商品を輸出する時に税関に向けて作成します。税関の職員からサインをもらうと、この輸出申告書が、輸出許可証になります。
5.船荷証券(Bill of Lading)あるいはAir Waybill
船荷証券は、日本での商品との引換証となります。また、実際に荷物が船に載って日本に向かっていることも証明します。
6.原材料一覧表(List of Row Materials)と生産プロセス表(Working Process)
原材料一覧は、どこの国で作られた原料を使って、商品を縫製したのかを示す書類です。例えば、生地と糸はタイ製、ジッパーは日本製、段ボール箱はラオス製などと書いています。生産プロセス表では、どのような原材料が、縫製のどのプロセスで使われているかを書きます。
7.生地の原産地証明(County of Origin)
例えば、タイ製の生地であれば、タイ政府からその生地がタイ製であることを証明する書類を発行してもらいます。
8.7.の生地を輸入したときのインヴォイス
インヴォイスとは請求書のことで、7.の原産地証明のある生地が、どれくらいの長さが入ってきて、どれくらいの価格なのかが書いてあります。
9.7.の生地を輸入したときの輸入申請書(輸入許可証)と残生地報告書(Fabric Control)
輸入申請書は、ラオスではD52Bと呼ばれていて、税関の職員からサインをもらうと、この書類が輸入許可証となります。
また、残生地報告書(Fabric Control)とは、7.の原産地証明のある生地が、どれくらい残っているかを報告します。例えば、タイ製の生地を1,000m輸入した場合、今回の出荷で300m使ったので、残りのこの生地は700mありますというようなことが書いてあります。
以上の書類を揃えて、商工会(Chamber of Commerce)に申請することで、Form AJが取得できます。商品は、ラオスの国境を越え、タイから日本へ船に載せて運ばれます。最初にも書いたようにタイから日本までは、船で約10日かかります。その10日間の間に、B/L(船荷証券)をタイから送ってもらい、Form AJを申請・取得し、日本のアパレル会社さんに船の到着前のインヴォイスなどと一緒にForm AJが届くようにしなければなりません。なので、船の出荷後の月曜などがタイの祝日になったりすると、結構、時間との戦いだったります。
こんな感じで、海外の縫製工場は輸出企業でもあります!!
縫製工場のとっておきの道具・・・ 喰い切り。
2017.03.27
先週まで展示会用のサンプルの縫製で大忙しでした。まだまだ日本は春先ですが、サンプルはも秋冬もののサンプルです。
そして、サンプルの縫製で活躍するのが、この道具!!

これは何かというと、ジッパーの務歯(むし)を外す専用喰い切りです。
商品を量産するときには、必要な本数をYKKさんにオーダーするのでこのようなしません。しかし、サンプルを縫製するときには、どうしても必要な長さのジッパーがないことがよくあります。しかも、必要なジッパーの本数は各色1本ずつ計5本ずつで、ジッパーを必要とするサンプルの品番がいくつかあるという状況もあります。そんなときに、それぞれのジッパーを1本ずつYKKさんに注文するわけにもいかないので、上の喰い切りを使って、務歯(むし)を外してきジッパーを必要な長さに調整していきます。
使い方はというと、ただたんに、ジッパーの務歯(ムシ)を引っ張ってとっていくだけです。簡単そうに見えますが、上の特製喰い切りを使わなければ、うまくとれません。ポイントはというと、握ったときに、しっかり刃先がとじずに、少し開いてるということです。握った時に刃先がとじる普通の喰い切りを使うと務歯(ムシ)を外す時に、ジッパーテープが引き裂かれてしまいます。しかし、握ったときに、少し開いているものを使うと ジッパーテープの破れのを防ぐことができます。

必要のない務歯(ムシ)を外した後は、一番上の部分にある上止めを外して、務歯(ムシ)の一番上の部分に付け直します。このとき、しっかり、取り付け直すことが大切です。一度、スライダーの部分が、務歯(ムシ)から外れてしまうと、再び務歯(ムシ)の戻すことはできず、そのジッパーは二度と使うことができなくなってしまいます。
※ジッパーの務歯を外している様子

いろいろジッパーの名称を使いましたが、ジッパーの各部の名称は次のように言います。少しマニアックですね☆

・上止め:スライダーを務歯(むし)の一番上の部分で止めます。これがないと、スライダーは外れてしまいます。そして、外れると二度と務歯(むし)におさめることができなくなるので、とても大事な部分です。
・スライダー:本体の部分になります。務歯(むし)をうまく噛み合わせていきます。
・引き手:ジッパーを引っ張る部分。いろいろな形があります。
・務歯(むし):スライダーが動くレールような部分です。細いものから太いものまで、プラスチック製のものから金属製のものまで、金色のものもあれば銀色のものと、とにかくいろいろな種類があります。
・ジッパーテープ:務歯(むし)が取り付けられている部分で、YKKさんだと何百色から選ぶことができます。
・下止め:ジッパーの一番下の部分です。写真のジッパーは右と左に分かれませんが、ジャンパーのジッパーなど左右に分かれるジッパーはまた違う形をとっています。
ジッパーは、資材屋さんにいけば売っているというものでないので、YKKさんにオーダーしなければ手に入りません。そして、オーダーすると最低10日〜14日くらいかかります。本数の問題、オーダーしてから手に入れるまで少し時間がかかるので、サンプル縫製時に必要な長さのジッパーがなかった場合には上のような喰い切りを使ってサンプルを縫製することが多いです。
そして、サンプルの縫製で活躍するのが、この道具!!

これは何かというと、ジッパーの務歯(むし)を外す専用喰い切りです。
商品を量産するときには、必要な本数をYKKさんにオーダーするのでこのようなしません。しかし、サンプルを縫製するときには、どうしても必要な長さのジッパーがないことがよくあります。しかも、必要なジッパーの本数は各色1本ずつ計5本ずつで、ジッパーを必要とするサンプルの品番がいくつかあるという状況もあります。そんなときに、それぞれのジッパーを1本ずつYKKさんに注文するわけにもいかないので、上の喰い切りを使って、務歯(むし)を外してきジッパーを必要な長さに調整していきます。
使い方はというと、ただたんに、ジッパーの務歯(ムシ)を引っ張ってとっていくだけです。簡単そうに見えますが、上の特製喰い切りを使わなければ、うまくとれません。ポイントはというと、握ったときに、しっかり刃先がとじずに、少し開いてるということです。握った時に刃先がとじる普通の喰い切りを使うと務歯(ムシ)を外す時に、ジッパーテープが引き裂かれてしまいます。しかし、握ったときに、少し開いているものを使うと ジッパーテープの破れのを防ぐことができます。

必要のない務歯(ムシ)を外した後は、一番上の部分にある上止めを外して、務歯(ムシ)の一番上の部分に付け直します。このとき、しっかり、取り付け直すことが大切です。一度、スライダーの部分が、務歯(ムシ)から外れてしまうと、再び務歯(ムシ)の戻すことはできず、そのジッパーは二度と使うことができなくなってしまいます。
※ジッパーの務歯を外している様子

いろいろジッパーの名称を使いましたが、ジッパーの各部の名称は次のように言います。少しマニアックですね☆

・上止め:スライダーを務歯(むし)の一番上の部分で止めます。これがないと、スライダーは外れてしまいます。そして、外れると二度と務歯(むし)におさめることができなくなるので、とても大事な部分です。
・スライダー:本体の部分になります。務歯(むし)をうまく噛み合わせていきます。
・引き手:ジッパーを引っ張る部分。いろいろな形があります。
・務歯(むし):スライダーが動くレールような部分です。細いものから太いものまで、プラスチック製のものから金属製のものまで、金色のものもあれば銀色のものと、とにかくいろいろな種類があります。
・ジッパーテープ:務歯(むし)が取り付けられている部分で、YKKさんだと何百色から選ぶことができます。
・下止め:ジッパーの一番下の部分です。写真のジッパーは右と左に分かれませんが、ジャンパーのジッパーなど左右に分かれるジッパーはまた違う形をとっています。
ジッパーは、資材屋さんにいけば売っているというものでないので、YKKさんにオーダーしなければ手に入りません。そして、オーダーすると最低10日〜14日くらいかかります。本数の問題、オーダーしてから手に入れるまで少し時間がかかるので、サンプル縫製時に必要な長さのジッパーがなかった場合には上のような喰い切りを使ってサンプルを縫製することが多いです。
3月21日はラオスでは「タケークの戦いの日」でした。
2017.03.23
3月21日はラオスでは「タケークの戦いの日」でした。この日は、ラオスの祝日になっていませんが、ラオス人にとってはとても大事な日です。といいつつ、私も今まで知らなかったのですが、朝、ラオスのラジオを聞いてるいると、「タケークの戦い」のことを特集していました。
※ラオスの年間の祝日については、次のリンクを見てください。
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00025.html
ラオスで働く者として、ラオスの文化や歴史を日本に伝えるのも、仕事の一つと考えているので、今日はこのタケークの戦いを紹介します。ラオスは、フランスに植民地にさせられ、日本が第二次世界大戦で攻めてきて一応フランスから独立し、日本の敗戦後中国が来て、またフランスが攻めて来る(タケークの戦いのとき)という大国に振り回されてきた歴史を持っています。観光パンフレットやガイドブックでは、「笑顔が素敵な国」「のんびりした国」などと紹介されるラオスですが、辛い歴史を乗り越えて今があります。
さて、タケークの戦いというのは、1946年3月21日にフランス軍がラオスにラオスの再植民地のために、ラオスの中部にあるカムアン県タケーク(首都ヴィエンチャンから南に300キロくらい)に侵攻してきたことから、ラオス人(ラオ・イサラ)とベトナムからの義勇軍が、フランスと戦った日という日です。

1946年2月28日のフランス中国協定に基づいて、中国国民党はラオスから撤退することになりました。(まだ、中国本土では、共産党と国民党が内戦をしています。)その後、中国がラオスが撤退した後に、フランスが、3月17日にでサワンナケート県(タケークの戦いが起こることになるカムアン県の下の県)を占拠し、北上をしてカムアン県に向かってきます。
このフランス軍とタケークで戦うことになり、ラオ・イサラ(自由ラオス)とベトナム人の義勇兵で、ラオス人民民主共和国の初代大統領となるスパヌウォンがラオス側の率いて戦いました。このとき、スパヌウォンは、メコン川を渡る時に銃弾を受け重傷を負いました。(この負傷したスパヌウォンを助けるために、ベトナムからの義勇兵が亡くなっています。)

このタケークの戦いは、結果としてみればラオス側は敗北し、1日で3000人のラオス人がなくなりました。その多くは女性や子どもだったそうです。また、フランス人に殺された人々は、殺されて井戸に捨てられたり、メコン川に流されたそうです。子どもの中には、生きたまま井戸に落とされた人もいるということです。この3000人という人数は、ラオスの歴史上、1日あたりの戦死者数でみると、もっとも多い戦死者数という日になります。

3月21日のタケークの日は、フランス人の残虐性とその死者数の多さにより、ラオス人にとっては忘れることのできないとても悲しい日となっていて、この日に亡くなったラオス人とベトナム人を追悼する日となっています。
最近、テレビ等でも取り上げられることの増えてきたラオスですが、「癒やし国」「笑顔の国」というだけでなく、辛く苦難の歴史を持っていることを知れば、また違ったラオスが見えてくるのではないしょうか。
※この記事のイラストはTHOLAKHONGの関連記事からお借りました。
参考URL:http://www.tholakhong.com/2017/03/21.html
※ラオスの年間の祝日については、次のリンクを見てください。
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00025.html
ラオスで働く者として、ラオスの文化や歴史を日本に伝えるのも、仕事の一つと考えているので、今日はこのタケークの戦いを紹介します。ラオスは、フランスに植民地にさせられ、日本が第二次世界大戦で攻めてきて一応フランスから独立し、日本の敗戦後中国が来て、またフランスが攻めて来る(タケークの戦いのとき)という大国に振り回されてきた歴史を持っています。観光パンフレットやガイドブックでは、「笑顔が素敵な国」「のんびりした国」などと紹介されるラオスですが、辛い歴史を乗り越えて今があります。
さて、タケークの戦いというのは、1946年3月21日にフランス軍がラオスにラオスの再植民地のために、ラオスの中部にあるカムアン県タケーク(首都ヴィエンチャンから南に300キロくらい)に侵攻してきたことから、ラオス人(ラオ・イサラ)とベトナムからの義勇軍が、フランスと戦った日という日です。

1946年2月28日のフランス中国協定に基づいて、中国国民党はラオスから撤退することになりました。(まだ、中国本土では、共産党と国民党が内戦をしています。)その後、中国がラオスが撤退した後に、フランスが、3月17日にでサワンナケート県(タケークの戦いが起こることになるカムアン県の下の県)を占拠し、北上をしてカムアン県に向かってきます。
このフランス軍とタケークで戦うことになり、ラオ・イサラ(自由ラオス)とベトナム人の義勇兵で、ラオス人民民主共和国の初代大統領となるスパヌウォンがラオス側の率いて戦いました。このとき、スパヌウォンは、メコン川を渡る時に銃弾を受け重傷を負いました。(この負傷したスパヌウォンを助けるために、ベトナムからの義勇兵が亡くなっています。)

このタケークの戦いは、結果としてみればラオス側は敗北し、1日で3000人のラオス人がなくなりました。その多くは女性や子どもだったそうです。また、フランス人に殺された人々は、殺されて井戸に捨てられたり、メコン川に流されたそうです。子どもの中には、生きたまま井戸に落とされた人もいるということです。この3000人という人数は、ラオスの歴史上、1日あたりの戦死者数でみると、もっとも多い戦死者数という日になります。

3月21日のタケークの日は、フランス人の残虐性とその死者数の多さにより、ラオス人にとっては忘れることのできないとても悲しい日となっていて、この日に亡くなったラオス人とベトナム人を追悼する日となっています。
最近、テレビ等でも取り上げられることの増えてきたラオスですが、「癒やし国」「笑顔の国」というだけでなく、辛く苦難の歴史を持っていることを知れば、また違ったラオスが見えてくるのではないしょうか。
※この記事のイラストはTHOLAKHONGの関連記事からお借りました。
参考URL:http://www.tholakhong.com/2017/03/21.html

2017.03.30 09:55
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