海外ラオスにある小ロットを得意とする縫製工場

CREATIVE BUSINESS CORP., (LAO) LTD.





多民族多言語国家は大変です。
2017.06.12
 最近、縫製工場の事務室内でこんなやりとりがありました。

 1人のモン族の女性が、事務の女性のところへ来て、次のように話しかけたのです。

モン族女性「コー・ラ・パー」
事務の女性「??」
モン族の女性「コー・ラ・パー」
事務の女性「??」
タイ人工場長「『コー・ラ・パック』と言いたいの?」
モン族の女性「はい。」

 ラオスで「休暇願いをください」のことを「コー・ラ・パック」と言います。しかし、そのモン族の女性は「パック」ではなく「パー」と言っていたため、事務の女性は「??」という感じでした。確かに、ラオス語は語尾の音が聞き取りにくいですが、「パック」=「休み」という単語は、けっして難しい単語ではなりません。

 モン族の人々の多くが、ラオス語を話せないということはありませんし、学力が低いということはありません。むしろ、モン族の人々は、まじめで、一生懸命な人が多いという印象です。ラオス国立大学やラオス医科大学にも、たくさんの人が進学しています。人によっては、「ラオス国立大学に進む男性はモン族ばかり」という人もいるくらいです(これはさすがに言いすぎです)。

 しかし、モン族の人々を含め、山奥にあるような村で生まれ育った少数民族の人の中には、ラオス語で教育を受ける機会がなかった人がいます。小学校のない村もあります。たとえ小学校があったとしても、小学校で中退せざる得ない人がたくさんいます。先生がラオス語しか話せないと、生徒とコミュニケーションを取ることができなかったりするからです。小学校1年生には生徒が50人くらいいるのに、小学校5年生になると生徒数が一桁になるなんてことも、山奥の招集民族の村ではあることです。結果として、村人の多くがラオス語が話せないということを起こります。

 そのような人々が、いろいろな事情から、首都のビエンチャンに出てきて仕事を探すことがあります。ときには、縫製工場に仕事を求めてきたります。

 ラオス語が全くできない人を採用することは、コミュニケーションが取れないのでできませんが、それでもラオス語が苦手とする人々が働いてるのが、ラオスの縫製工場です。最初の例の女性ほど、ラオス語を話したり、聞いたりするのが苦手な職員は、ほとんどいませんが、ラオス語の読み書きができない職員はけっこういます。縫製工場の職員として大事なのは、手先の器用さであったり、細かいところへの気配りだったりするので、たとえラオス語が苦手であっても縫製に関わる仕事は立派にすることはできます。しかし、縫製工場内外を問わず、何らかの文書を書いたり、手続きをしたりしないといけない場面がときどきあるはずです。そんな場面を考えると心配になってしまう部分もあります。

※モン族出身であれば、何人もモン族出身の職員がいるので、ラオス語を話すのが苦手でも、なんとかやっていけます。

 海外の縫製工場で働いていると、縫製のこと以外にも、ときどきいろいろなことを考えさせられることがあります。

※下の写真は、ラオスの山奥の少数民族の村です。自給自足のような生活を送っています。(職員の出身の村ではありません。)
2017.06.12 09:55 | 固定リンク | ラオス語
縫製工場の前の道を整備しました。
2017.06.08
 CBC Laoは、ラオス国立大学に向かう比較的大きな道から、小さな小路に50mくらい入ったところにあります。

 この50mの小路は、土の道で雨がふるたびにぐちゃぐちゃに、そして、そのたびにどんどんデコボコになっていきます。基本的に、ボーペンニャン(日本声で「気にしない」)な性格なラオス人ですが、さすがにデコボコになりすぎていたようで、CBC Laoも含めてこの50mの道沿いにある住人たちがお金を出し合って、労力を出し合って道を整備にすることになりました。

※このようにラオスでは、大きな道から入っくる小路は、地域住民の手で整備されることも多いです。

 本当はコンクリートかアスファルトで舗装するのが一番良いのですが、去年見積もりをとったときに200万円くらいかかることがわかり、結局、砂利と砂を使って整備することになりました。

 まず、1日目と2日目に砂利を運び入れました。2トンダンプで5杯分です。3日目には、2トンダンプで2杯分の砂を運び入れました。この砂が曲者で、しっかり砂が踏み固めてられておず、海辺の砂浜のような状態になり、縫製工場の前では埋まる車続出でした。中にはスコップを借りに来る人もいました。洗い屋さんのトラックも埋まっていました。日本なら、こんな状況に怒る人も出てきそうですが、ここはラオス、皆が「こんなもんかな」「仕方ないか」という感じで納得しているようでした。

※砂利と砂は、2トンダンプ1台あたり、9,000円くらいで、砂の方が砂利より少し安いようです。

 4日目は特に何もせず、多くの人が歩き、バイクや車が通って、少しずつ砂利と砂が絡まって固くなるのを待ちます。特に、工事現場で使うような地面を固めるような機械は使いません。こんなところもラオス的です。

 どうなるかと思っていましたが、意外と平らになり、きちんと人や車が通れるようになりました。


 そして、5日目、雨が降ったとき用の、土管を使っての排水口づくりです。1〜3日目までは、平日ということもあり、裁断場が忙しかったたこともあり、一緒に道作りをすることはできませんでした。しかし、排水口づくりは土曜日であり(工場は操業しています)、地域の企業としての責任もあり、裁断場の男性陣(とっても3人だけですが)が一緒に、地域の人々と行いました。

 どんな風に土管をつなげるか作戦会議(?)です。


 てこの原理を使って、力技でつなぎ合わせていくことになりました。


 そんなに重労働に見えないかもしれませんが、気温が30度以上超える日が続く亜熱帯のラオスでは、ちょっとした作業を行なうのも大変です。ちょっと動いただけで、汗がびっしょりです。

 こんな感じで、地域にある縫製工場として、いろいろ地域の人々を協力してやっています!!
2017.06.08 09:55 | 固定リンク | 縫製工場の日常
Form AJ(原産地証明)の申請書類が減りました。
2017.06.05
 最近、Form AJ申請書類から、ASEAN諸国から生地を輸入したことを証明する原産地証明書が必要なくなりました。輸出者として(
海外縫製工場は輸出企業でもあります)は、1つでも申請書類が減り、手続きが簡素化されることは嬉しいことです。

 以前のブログで、Form AJを取得するときに必要な書類として次の書類が必要と書きました。

(参考)ラオスからはForm AJ(原産地証明)取得で関税免除です。
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00008.html

(Form AJの申請するときに必要な書類)
1.Form AJの申請書

2.原産地証明書(Form AJ)

3.原産地証明を取得する商品を輸出したときのインヴォイスとパッキングリスト

4.原産地証明を取得する商品を輸出したときの輸出申告書(輸出許可証)
 
5.船荷証券(Bill of Lading)あるいはAir Waybill

6.原材料一覧表(List of Row Materials)と生産プロセス表(Working Process)
 
7.生地の原産地証明(County of Origin)
 
8.7.の生地を輸入したときのインヴォイス

9.7.の生地を輸入したときの輸入申請書(輸入許可証)と残生地報告書(Fabric Control)

 しかし、最近、7.の輸入した生地の原産地証明書の必要がなくなりました。その理由は、上記9.の輸入申請書(輸入許可書)と残生地報告書を確認することで、例えばタイからどれくらいの生地が入ってきて、出荷で実際にその生地が使われたのか分かるからです。それぞれの生地は、混率(例えば綿98%、ポリウレタン2%など)が違うだけでなく、重さ(厚い生地と薄手の生地があります)も違います。そして、輸入申請書(輸入許可証)と残生地報告書には、それらの混率と重さがしっかり書かれています。なので、どのときに輸入された生地を使って縫製されて、輸出されるのかをしっかりチェックすることができます。

 たった1枚の書類がなくなるだけですが、縫製工場としてはとても助かります。生地の原産地証明書は生地の輸入と同時に手に入るのではなく、生地の輸入からしばらくたって来ることもあります。去年までは、タイの生地屋さん側の都合で、なかなか生地の原産地証明がとれず、なおかつその生地を使った商品の出荷が迫っていて、ドタバタするようなこともありました。また、タイの生地屋さんによっては、なかなか原産地証明を出してくれないところもあり、苦労したこともあります。

 が、現在、その苦労をする必要がもうなくなりました!! 

 海外の縫製工場は、輸入企業であり、輸出企業でもあるので、輸出入にかんする法律や手続きにも常日頃から目を配らせておくことが必要だったります。
2017.06.05 09:55 | 固定リンク | 輸出入や貿易
日本語をがんばって勉強しているラオス人がいます!!
2017.06.01
 先日、LJセンターという、ラオス国立大学内にある日本とラオスとの交流施設内の日本語教室に参加してきました。縫製工場がラオス国立大学のすぐ近くにあることから、日本語教室に日本人を呼ぶときにはお誘いを受け、ときどき参加させていただいています。

 ※LJセンターの入り口。日本とラオスの様子がうまく描かれています。左側がラオス、右側が日本ですね。


 LJセンター内にはいくつか初級から上級まで日本語教室のクラスがいくつかあるようです。今回は、1年と少し日本語を勉強している人のクラスに参加させていただきました。授業内容は、ラオス料理を日本人に紹介するでした。

 1組目は、ラオスの焼き魚とココナッツのプリンを紹介してくれました。


 2組目は、ラオスの笹団子(カムアン県の名物)と焼きそば、たこ焼きを紹介してくれました。手作りのボードは、表に料理が、裏に材料がかかれているのなど、アイデア満載のチームです。


 3組目は、ルアンパバーンの郷土料理紹介です。薬味のスープ、川海苔、佃煮のような料理を紹介してくれました。ルアンパバーン出身者がいたことから、材料等を細かく説明してくれていました。


 どのグループも準備にはかなりの時間を費やしていたようで、とても分かりやすく、上手に日本語で説明をしてくれました。以前、日本語を勉強して数ヶ月、しかも初めて日本人と交流するというクラスにも参加させていただいたこともあります。当たり前ですが、皆がたどたどしい日本語しか話せませんでした。今回のラオス料理紹介では、それから1年ぐらい勉強を続けている人たちです。彼ら、彼女らの発表は、日本語がとても上手になっていて、ここまで上手に日本語を使って、いろいろなことを説明することができるようになるんだと感心させられました。日本語の発音やアクセントもとても上手になっていました。

 その後、日本人が各グループに入っての会話の時間となりました。私は、1組目のラオスの焼き魚とココナッツのプリンを紹介してくれたチームと一緒に会話を楽しみました。下がその面々です。文学部日本語学科で昼間は勉強している人、観光を勉強している人、ビジネスを勉強している人、高校生とバックグラウンドは様々です。



 彼らが作ったラオス料理紹介資料を資料をみると皆が一生懸命に日本語を勉強しているのがよく分かります。この資料をみながら「あなたはこの焼き魚は好きですか? よく食べますか?」と質問を受けたり、逆に私から「このココナッツのプリンを作ることはできますか?」と聞いてみたりと、紹介してくれた2つの料理からいろいろなラオス料理のこと、ラオスの文化のこと、そして日本のことまで話が広がっていきました。

 
 最後には、記念写真を撮りました。彼ら、彼女らが、日本語をあきらめずに勉強している人たちです。日本人として、とてもうれしいです☆


 このようにラオスでも、日本語に興味をもって勉強しているラオス人がいます。

 ここで思うことは、彼ら、彼女らが日本語の勉強を続け、その成果を活かすためには、、日系企業の力が大いに必要になってくるということです。アニメや漫画を理解するために日本語を勉強する人もいますが、多くの人が日本語のレベルを高いレベルにもっていくときに必要なのはやはり「就職」へのモチベーションです。特に、ラオスでは、英語や中国語、日本語など、語学力があることが高い収入を得るために必要な資格というか、条件となっています。

 でも、この点、日本語は他の言語に負けています。欧米2カ国と日本に留学していた友人が次のように言っていました。

「日本は良い国だし、留学した欧米の国よりも日本のことは好きだよ。でも、日本語を勉強する価値があるかと言ったら別だよ。日本語ができても、就職先がそんなにあるわけでないし、日系企業の給料も良くない。そこが残念なところだよ。」

 ラオスに住む日本人として、この友人が言ってたことは分かっていることですが、やはり直接このように言われると辛いものです。このような現状を少しでも改善され、少しでも多くのラオス人に日本に興味を持ち、勉強してもらえるようにどんどんラオスに日系企業が進出して来てほしいです!! 

 日本語の勉強を通して学ぶことができるのは、日本語という語学だけでなく、日本の文化・歴史・社会であり、その先にあるのは日本への親近感で憧れです。日本が、世界で勝負していく必要があるのであれば、日本に親近感や憧れをもつ人がたくさん必要なはずです。

 最後のなりましたが、一つ嬉しいことに、今日一緒に会話したグループの中にも、はっきりと大学卒業後は、日本企業で働きたいと話してくれた女性がいました☆ 
 
 LJセンターの職員の方、いつも日本語教室に誘っていただきありがとうございます!!
 

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