海外ラオスにある小ロットを得意とする縫製工場

CREATIVE BUSINESS CORP., (LAO) LTD.





ベトナム人の洗い屋さんは大忙しです。
2017.03.13
 このブログでも何度か紹介しているベトナム人経営の洗い屋さん、前回の訪問時は、洗い加工をする衣類が工場内に1枚もなく、「仕事ないんだ〜」みたいな感じでした。しかし、先週、サンプルの洗い加工をベトナム人の職人さんに説明したいために、訪問し時は、とてもとても忙しいそうでした。

 そんな状況にあっても、洗い加工が必要なサンプルがたくさんあったので「これは、バイオで加工で。これは、バイオ加工にスプレー加工で。これは、ワンウォッシュで。これは、この生地と同じくらいの濃さのブリーチで。」みたいな感じで、たくさんの洗い加工をお願いしてきました。

※(参考)洗い加工の現場、洗い屋さんってどんなところ?
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00034.html
 ⇒このベトナム人経営の洗い屋さんの工場の中の様子を紹介しています。

 さて、話はもどり、訪問時には、写真のように洗い加工を待っている洋服がたくさんありました。


 3つの縫製工場の職員も、それぞれの縫製工場の商品が縫いあがるのを、首を長くして待ってました。それぞれの縫製工場の職員が、ベトナム人のマネジャーに「早く!!」と言っているようでした。

 もちろん何台もある業務用洗濯機も、全台フル稼働中でした。稼働しているかどうか写真じゃわかりませんが、洗濯機の写真です。

 

 遠心分離型の脱水機からのたくさんの洗い上がってきていました。


 
 また、今回、洗い屋さんに伺ったところ、ちょうどスプレー加工をしているところでした。ということで、スプレー加工の方法を紹介します。スプレー加工と言っても、実際に洋服が売られるときには、「こすり加工」として売られる場合もあるようです。スプレーで色をつけることで、こすれたような感じを出していきますからね。

 まずは、下の写真のように、パンツの形をした風船(?)に、空気が入っていない状態で、パンツをセッティングします。



 次に、このパンツの形をした風船(?)に空気をいれ、パンツを固定してスプレーをします。



 こんな風にスプレーをしていくんですね☆ 簡単そうに見えますが、センスが問われます。薄すぎると加工をする意味がないですし、また、濃すぎるといかにヴィンテージ感がゼロになってかっこ悪いです。できるだけ薄く、でも、ヴィンテージ感があるみたいな感じが理想です。
 
2017.03.13 09:55 | 固定リンク | 縫製のこと
3月8日は女性の日で縫製工場はお休みでした。
2017.03.09
 3月8日は女性の日で、工場はお休みでした。3月8日の女性の日というのは日本では、馴染みが薄いですが、ラオスを含め、世界のいくつかの地域では大切な休日のようです。

※ラオスの年間の祝日については、次のリンクを見てください。
http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00025.html
 
 この女性の日は、1904年にアメリカで女性が参政権を求めてデモを起こしたことがきっかけになったようで、その後、次のような経緯があるそうです。一番下のリンク先のニュースがよくまとめているので該当部分を日本語に訳します。

「最初の公式としての女性の日は、1909年に、ニューヨークで一日開催のいくつかの大きなイベントを開催したアメリカの社会主義者の人々によって宣言されました。主催者は、2月28日の日曜日を選んだため、働く女性も参加することができました。そして、うまくいきました。そのイベントは、優先順位や戦略をめぐって過去に何度か衝突していた婦人参政権論者や社会主義者を含む、何千人もの人々を惹きつけました。「女性の義務が、家庭や母性に集中するというのは真実です。」ブルックリンの群衆の中で作家で改革者であるシャーロット・パーキン・ギルマンは言いました。そして、次のように続けたのです。「しかし、家庭は、すべての国を意味します。市や州の3つや4つの部屋には制限されません。

 2,3年の間に、労働や女性の権利に関係する大義のための「女性の日」のコンセプトは、ヨーロッパへと伝わっていきました。統計の中には、100万人以上の人々が、1911年3月19日の集会に出席したとするものがあります。1917年には、ロシアのフェミニストのアレキサンドラ・コロンタイが、皇帝ニコライ2世の退位とロシア革命を引き起こす大きなデモを導きました。敬意を表して、レーニンは1922年に、女性の日を公式の祝日にしました。中国とスペインの共産主義者も、公式に、女性の日を祝うことを始めました。1960年代半ばまで、国際女性の日は、共産主義者の祝日として残っていました。1975年には、国連が、公式に、国際女性の日を3月8日として認めました。」

 なんと、女性の日のデモは、ロシアの2月革命と関わっているんですね。そして、今年は、2017年のちょうど100年ですね!! (しかし、社会主義の国でも、3月8日の政治的な意味合いはなくなり、女性に感謝する日となっているようです。)
 
 さて、話はラオスの休日に戻ります。上にリンクを張ったラオスの年間の祝日にも書きましたが、ラオスには建国記念日のように民間企業・役所を問わず祝日になる祝日と、一部の企業等が休みになる祝日があります。この女性の日は、後者の一部の企業等が休みになる祝日です。なので、企業によっては、役所によっては、仕事をしているところもあります。

 ここには2つの考え方があるようです。一つは、女性の日だから女性だけを仕事を休みにして男性には働いてもらおうと考え方です。もう一つは、女性だけが休みになっても、家では家事をしなければなりません。だから、男性もこの日は仕事を休んで、男性に家事もすべてやって、女性が休めるように、女性だけでなく、男性も休みにしようという考え方です。

 どちらの考えにとってもラオスでは3月8日は、男性が女性が、特に尽くさなければならない日のようです。また、前日の3月7日には、職場によっては、男性陣が、日頃の女性への感謝の気持ちを示すためにパーティを催すところもあるようです。ちなみにイタリアでは、3月8日は「ミモザの日」と呼ばれ、男性が、母親や妻、会社の同僚などのミモザを送るそうです。日本男児は、普段から奥さんや母親に日頃の感謝をなかなか口に出して伝えられていない人も多いと思うので、是非、この女性の日が日本に広がるといいですね☆☆


※参考URL:
http://www.slate.com/articles/double_x/doublex/2017/03/this_week_s_strike_is_taking_international_women_s_day_back_to_its_radical.html
"The week's strike is taking International Woman's Day Back to Its Radical American Roots. の一部
The first official National Woman’s Day was declared in 1909 by the Socialist Party of America, which held several large events on a single day in New York City. Organizers chose a Sunday, Feb. 28, so working women could participate. It worked: The events attracted thousands of people, including both suffragists and socialists, who had sometimes clashed in the past over priorities and strategies. “It is true that a woman’s duty is centered in her home and motherhood,” writer and reformer Charlotte Perkins Gilman told a crowd in Brooklyn, “but home should mean the whole country, and not be confined to three or four rooms of a city or a state.”

Within a few years, the concept of a “women’s day” for causes related to labor and women’s rights had taken off in Europe. By some estimates, more than 1 million people attended rallies worldwide on March 19, 1911. In 1917, Russian feminist Alexandra Kollontai led a massive protest that helped set off the abdication of Czar Nicholas II and the Russian Revolution. In deference, Lenin declared Woman’s Day an official holiday in 1922. Chinese and Spanish Communists began formally celebrating it, too, and International Women’s Day remained a communist holiday until the mid-1960s. In 1975, the United Nations officially recognized March 8 as International Women’s Day.

⇒上の部分が私が日本語に訳した部分ですが、その他にも興味深い話があるので、是非、お時間のある方は全文を読んでみてください。
「糸」と一言でいうには、種類が多すぎます!!
2017.03.06
 CBC Laoは小ロット・多品種を得意とする縫製工場で、その悩みの一つに、糸の管理があります。

 各シーズンごとにどんどん糸の種類が増えていく。。。衣類を取り巻く業界の人たちの目はとても良いですし、デザイナーさんは小さな色の違いにこだわります(当然ですね!!)。 という事情もあり、たくさんの色の在庫があります。といっても、次のような写真の糸のカタログの糸がほとんど揃っているかというと、まだままだです。色の色の種類って本当にたくさんあります。







  今日は、糸について紹介します。糸にには色以外にもいくつか分類方法があるので、順番に紹介していきます。

1.長繊維か、単線維による分類
 糸は繊維の長さから、長繊維(フィラメント)糸と短繊維(スパン)糸に分けられます。長繊維(フィラメント)糸の代表は絹やナイロンの糸、短繊維(スパン)糸の代表は綿や羊毛、麻の糸になります。短繊維(スパン糸)は、繊維が短いのでこれを合わせていき糸にしていきます。この過程のことは紡績と呼ばれます。
 ポリエステルの糸は、元々が石油からできているので、長くカットすれば長繊維(フィラメント)糸になります。逆に、短くカットしていき、それを合わせて糸にすれば短繊維(スパン)糸ということになります。ポリエステルの糸には、長繊維(フィラメント)糸と、短繊維(スパン)糸があるようです。
 また、ポリエステルの長繊維(フィラメント)糸と綿の短繊維(スパン)糸を混ぜた混合素材の糸もあるようです。

2.天然素材か、化学繊維かによる分類
 天然素材の糸には、絹や綿、麻、羊毛などがあります。化学繊維の糸には、ポリエステルやレーヨン、ナイロンなどがあります。

3.糸の太さに分類
☆長繊維(フィラメント糸)
 デニール(d)やデシテックス(dtex)を使うことが多いようです。デニールは、9,000メートルの糸の重さが何グラムあるかで表します。9,000メートルで2グラムのいとは、2デニール(d)の糸となります。デシテックスは、10,000メートルあたりの重さが何グラムあるかで表します。10,000メートルで2グラムの糸は、2デシテックス(dtex)の糸となります。
 数が大きくなるほど、糸の太さが太くなります。

☆短繊維(スパン糸)
 メートル番手と英国式番手を使うことが多いようです。メートル番手は、1グラムあたり何メートルの糸ができるかで決まる単位です。1グラムで10メートル取れる糸は10番手、1グラムで20メートル取れる糸は20番手となっていきます。また、英国式番手とは、糸の重さ1ポンド(453.6グラム)で840ヤード(768.1メートル)とれる糸を1番手、1680ヤード取れる糸を2番手としていきます。1グラムで、1.69メートルあれば、1番手というに考えることもできます。
 数が大きくなるほど、糸の太さが細くなっていきます。

 どの色の太さの分類法も糸の重さを基準にしているので、素材によって同じ数字や番手であっても、長さが変わってきます。そして、上のデニールやら、メートル番手やらに、さらに計算を加えるので、各国で、同じ数字であっても糸の太さが変わってきます。日本とタイの糸では、数字が同じでも太さが違います。

 製糸業を営む会社は日本もたくさんありますが、CBC LaoはタイのGolden Thred社の糸を使っています。その中でも、CBC Laoで主に使っているのポリエステルでできた短繊維(スパン)糸を使っています。下の写真でいうと、一番右の赤い糸と同じ種類の糸がたくさんあります。糸の太さには、細い方から180番、120番、30/3番、30/2番、20/3番などがあります。
 ※タイの糸の太さの計算方法は、今度調べてまた、紹介します。


 

 ところで、私は、この業界で働くまで、実は、綿100%デニムには、当然のように綿の糸が使われていると思っていたのですが、デニムび綿の糸が使われることはほとんどありません。持っているデニムのパンツをみていただきたいのですが、洗ってもデニムの色が糸に移ってないですよね。それはポリエステルの色でできているからなんですね☆ ポリエステルの糸は、色移りはしません。
2017.03.06 09:55 | 固定リンク | 縫製のこと
海外縫製工場は出産ラッシュです!!
2017.03.02
 先日、出産をした職員が赤ちゃんを連れてきてくれました。

 海外の縫製工場は、ラオスを含め、20代から30代の女性が多く働いているので、毎年、出産をする女性がいます。CBC Laoでも、ここ半年くらいで上の写真の女性を含め4人の女性職員が出産をしています。また、1人の男性職員の奥さんが子どもを出産しています。職員が100人規模の工場なので、結構な割合です。

 下の写真が、赤ちゃんをつれてきてくれた職員とその赤ちゃんです。とても可愛いですね☆☆



 子どものあだ名は「ニノー」といいます。

 本名はと言うと、、、、 まだ、決まっていないのとのことです。ラオスでは、先にあだ名がついて、本名は後からつくのが普通みたいです。産まれたばかりの赤ちゃんの名前を聞いても、皆「まだ決まってない」というように言っています。ラオスも、日本も、どんな名前を子どもにつけるかで、どの両親も悩むのは一緒ですね。

 そうは言っても、日本だと、市役所等に出生届をすぐに提出する必要があるため、子どもが産まれた後は、悩む時間はそんなにはありません。しかし、ラオスは、すぐに役所等に届け出る必要はないので、数ヶ月も戸籍上の名前がない場合もあるようです。また、役所に、ラオス語で赤ちゃんを意味する「エーノイ」という名前をとりあえずつけ、その後、ゆっくり正式な名前を考えるというパターンもあります。学校への入学前であれば、比較的簡単に名前を変えることができるそうです。

 その他、日本と違うところは、子どもの名前をお坊さんにお願いしてつけてもらうことがあるということと、例えば月曜から土曜まで1つの曜日に1つの名前を考えておいて、産まれた曜日によって名前を決めるようなことがあるということでしょうか。ラオスでは、どの曜日に産まれたか重要だったりします。(ラオス人に、「何曜日に産まれたの?」と聞くと、みんな答えることができます。)

 ラオスの周辺国では、地方出身者が都会に働きにでてきている場合、祖父母に子ども預けて、親は都会の工場などで働くということが普通だったりします。しかし、ラオスは普通といえば普通なのですが、両親が子どもの面倒を見ています。なので、子どもを産んだ跡は、一度、退職の手続きをして、1年と少しくらいしてまた戻って働きに戻ってくるというパターンも多いです。

 職員の赤ちゃんが、みんな元気いっぱいにすくすく成長していって欲しいです☆☆
2017.03.02 09:55 | 固定リンク | 縫製工場の日常

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